野上日記
- 2015.02.20
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卒業、そして・・・
こんにちは、Y館長です。
記念館にご来館いただいた方には、お差し支えなければ・・・ということで「御芳名帳」に記帳をお願いしています。
記念館からのお知らせやご挨拶に利用させていただくのですが、ときたま手にとって頁を繰ってみると訪ねてくださった方々のお顔や伺ったお話などがたちまちに思い返されて、恰も日記を紐解くかの如き感興をそそられます。
日記といえば、「ブログ」も「ウエッブログ」が詰まった言葉だそうで、ウエッブ上の記録が語源だとか・・・というわけで、この拙い館長ブログにも「野上日記」というタイトルが付けられている・・・
古来から日本には日記文学というものが多く残されていて、Yの乏しい記憶の中だけでも、土佐日記、紫式部日記、明月記、更級日記、蜻蛉日記云々と数え上げることができます。
文学的に著名なもの以外にも膨大かつ多様な記録が残されているであろうことは想像に難くなく、近年にはそんななかから「武士の家計簿」が生まれたり、近代以降でも、漱石日記、鴎外の従軍記であるうた日記、荷風の断腸亭日乗(岩波旧版の荷風全集を持っていますが全28巻のうち6巻が日記です)、蘆花の日記も読んだわけではありませんが荷風に劣らず大部であったような。残された量の多少に拘らなければ、個人全集には日記書簡集の類は不可欠ですね。
Y世代がコンテンポラリーに接したものといえば、高野悦子の「二十歳の原点」を筆頭に、康夫ちゃんのペログリ日記などというものもありました。
日記とはスタイルがことなりますが、時系列ということから往復書簡集である大島みち子の「愛と死をみつめて」(初めて読んだのはYが中二のときでした!片田舎の中学校の図書室にもあったということに当時のベストセラーぶりが偲ばれます)も思い浮かびます。
海外に目を向ければ、多分最も有名なものはアンネの日記でしょうか、古いものでYが実際に読んだものにはカエサル(シーザー)のガリア戦記、内乱記というのもあります。
藤飯治平記念館の本棚には、「ルネサンスの画家ポントルモの日記」というのもありました。
というところで当記念館の主である藤飯治平先生ですが、先生には日々の日常をつぶさに日記に残すという企みはなかったようですが、旅の記録は別で、たくさんの、所謂「取材ノオト」が残されています。
この二冊は、そんな藤飯先生の初外遊となるのでしょうか、’67年にパリ大学への留学とそれに併せて旧ソ連から欧州を旅した際の紀行日記です。
当時のことですから、船(Y註:おそらくハバロフスク号)で旧ソ連ナホトカへ、その先はシベリヤ鉄道を乗り継いでの欧州道中記。
出発は’67年8月20日。
横浜港桟橋を午前11時に出航とあります。しばしその旅立ちの部分を・・・
「上甲板の端の方に行って、月やん(Y註:藤飯夫人)と父にテープを投げる。4本とどく。」
「本船のサービス、居ごこち、満点。夜になってもっと素晴らしい船であることがわかる。
・エンヂンの音が低いこと
・キャビンは広くないが快適・清潔。おまけに2人用に一人だから個室、鍵がかかる。冷房完備。
・船内で日本円が使える。
・ビールも酒もたばこも日ソ両方のものあり。
ビールもサッポロ、キリン、アサヒ。バヤリースからコカ・コーラもある・・・」
「4:30 ティータイム
大きなコップで紅茶をポットで。いくらでもおかわり。
クロワッサンのようなおいしいパンつき」
「5:30からサロンで映画がある。のぞいてみる。ソ連らしい歌や踊りや風景の映画。色彩は良好」
「船内のアナウンスは日、英、ロ三ヶ国語でくり返す。船客は日本人半分、外人半分 外人の内また大半がロシア人のようだ。
いろいろな民族が集まっているが、ロシア人とそうでない白人は大体わかるようになる。」
「7:30 夕食 食べてばかりいるようだ。
貝柱のくんせい、うまい。
とにかく食欲はある。 しかし外人というのはよく食うね。」
「夜9:00 サロンで音楽パーティー
バラライカの名手がいて、ピアノ、クラリネット、ベース、ドラムに合わせてロシアの民謡ばかり とてもうまい。
みんな船員でアマチュアだ。
ブルガーニンに似たのやガガーリン大佐、チトフ少佐次々に歌う。
(えつ? ガガーリン? チトフ? そんな人と一緒に乗ってたの?ほんま?←Yのびっくりコメント)
よく見ると乗船の時、しかめつらしい(ママ)顔をしてパスポートの検査をしていた人もピアノを弾き歌を唄う。
こんな楽しい愉快な船はないだろう
船内のメイド(みんなかわいいがボリューム)もいっしょにサロンで遊ぶ。サービスしながら自分も楽しんでいる。
ビールやジュースも持ち込んできて売ってくれる。なかなか商売がうまい・・・
ダンスを始める。こんなときすましているのはやはり日本人に多い。
見ているのはつまらないからメードや船内のロシア人と踊る。ゴーゴーやマンボ、何でもうまいものだ。
バンドが「レッツキッス」をやりだした。みんな輪になってお尻をもってつながって踊りだしてしまった。肩章をつけたパーサーや士官も入っている。
アメリカ人らしいハイティーンも・・・
歌ったり踊ったりゲームをしたりして、知らぬ内に時間がたった。12時に終わり。
旅行第一日はソ連の人たちのお陰で楽しい一日だった。
風呂に入りひげをそり12:30 ねる」
翌日にはこんなことも・・・
「甲板でスウェーデンの女の子(美人ではない)と話す。いかめしい顔つき、体つきだが話すと可愛く愛想がいい。友だちになる」
「午后 デッキでフランス人のマドモアゼルがいる。フランス語で話しかける(心ぞう)
彼女の読んでいる本がフランス語の本だったので「あなた、フランス人?」一発で通じた。「ウイ」 あとがいけません、しかし、彼女がパリのデザイナーでエッフェル塔の近くに住んでいることなどわかる。
彼女の英語、僕のフランス語程度、或いはそれ以下」
・
・
・
と続くのですが、あとは記念館でとくとご覧ください。
このノオトを手にとって、Yが思い出したもの・・・
そう、ゴッホの手紙です。
その昔、小林秀雄の評論に誘(いざな)われて、みすず書房の一巻本選集に手を染めた「重い」記憶があるのですが、もちろん内容はまるで異なるのですが、藤飯ノオトの字面を見ているとふと浮かんできたということで・・・
そうそう、この藤飯ノオトの間にはさまれていた一枚のカード・・・
藤飯夫人「月やん」が異国で誕生日を迎える先生に送った手製のバースデー・カード・・・
中身を開くと・・・・
・・・・・・・・
あちらこちらから梅便りが聞こえてくれば、学院では入学試験を終えて、卒業シーズンへ・・・
今年も、来週の高等学校を皮切りに幼、小、中、高総勢500人がそれぞれ前途洋々に巣立っていきます。
巣立つといえば、この館長ブログの書き手であるYですが、開館以来一緒に助けてもらったA職員ともども、この年度末で遅い遅い「巣立ち」を迎えさせていただきます・・・
あっ、流石に「巣立ち」は夢多き若人らに失礼ですね、Yの場合は「引退」「リタイア」「退場」「隠居」うーん、なんと呼んでいただいても「前途洋洋」とだけは無縁のようで・・・それでも年寄りの冷や水、ちょびっとの「夢」はあったりするのですが・・・
そんなわけで、Y館長が綴ります「野上日記」は今回を持ちまして最終回、次回からは新しい◯◯(?)館長が務めさせていただくことと思います。
記念館での勤務も来週いっぱいですが、足掛け三年、取り留めなく書き散らし放題の拙い日記を辛抱強く読んでくださった皆さんに感謝申し上げます。
今後とも新体制の仁川学院藤飯治平記念館をよろしくお願いします。
吹き別れ吹き別れても千鳥かな 千代女
行春や鳥啼魚の目は泪 芭蕉
勧君金屈巵
満酌不須辞
花發多風雨
人生足別離 于武陵
グッバイ、オ フヴォワーフ、アウフヴィーダーゼン、アルベデルチ、アスタルエゴ、アディオス、ダ スウィダーニャ、マッサラーマ、ラーコン、ツァイ ツェン、アンニョンヒ ケーセヨ、マタヤーサイ・・・・
そして、サヨナラ・・・・ゴキゲンヨー
- 2015.02.12
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旧正月
こんにちは、Y館長です。
節分、立春も過ぎて、間もなく旧正月(今年は19日だとか)。
中華文化圏では旧正月を「春節」と称して新暦正月以上に盛大に祝うのだそうですが、中国大陸での壮絶とも思える帰省風景はテレビニュースでもよく目にするところです。
翻って、日本で旧正月を祝うという習慣はもうすっかり過去のもの、「旧正月」という言葉さえ耳に、目にする機会も殆どありません。
「小正月」もほぼ死語に近いか・・・地方によっては、かろうじて神事や民俗文化として根付いているところもあるようですが、「保存」という側面が大きいようにも思えます。
昨日の休日は、私事で神戸三宮界隈を歩いていたのですが、来週の南京町は「春節祭」でさぞ賑わうことでしょうね・・・
一昨日の10日は、県下の私立高校の入学試験でした。仁川学院高校でも、3000人の中3生がこの春からの新しい学びへの扉を開くため、最初のスッテプである受験に臨みました。
当日の朝、多くの受験生の乗換駅となる阪急西宮北口駅では、宝塚に向かう今津線のホームが沿線各校の受験生で満ち溢れ、最後尾の車両では積み残しが出るのではと心配するほどの混雑ぶりでしたが、若い活力・気力が満ちた風景に思わず頬が緩むYでありました・・・うーん、歳かなぁ・・・
そんな若い希望につながる景色がある一方、巷には年明け早々から思わず耳を疑い目をそむけるような報道が相次いでいますが、「和と善」のこころは必ず通じ合う、そんな信念を貫く勇気を持ちたい、或いはどんな環境のもとでも持ち続けたいものだと思います。
年明け以降のウイズたからづか効果で、引き続き、新しく来館くださるかたが増えています。
これも希望につながる一景色と感謝しつつ、お客さまに拙い案内をさせていただいてます。
- 2015.01.29
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反響
こんにちは、Y館長です。
記念館の庭の一角に枯れたまま立っていたヒマラヤスギを伐採していただきました。
ときおりその枯れた枝に羽を休める鳥たちも見かけることがあり、それはそれでひとつの景色ではあったのですが、結構な大きさもあり、また段差のある道路に張り出していることもあって、学院の植木手入れに併せて切ってもらいました。
長年、学院廻りの手入れをお願いしているYガーデンのYさん自ら、学院のE職員をアシスタントにちゃっちゃと始末をしてくれました。
生憎、作業中の写真を撮り忘れたのですが、完了後はこのとおり・・・
すっきりしました。
新しい切り株は、早速、鉢置きに・・・・真新しい木屑も目に新鮮・・・
庭にはもう一本のヒマラヤスギ・・・こちらには青々とした針葉が・・・・
作業を終えて帰り際、Yさんは、このヒマラヤスギを見上げながら・・・・
「これを切るときには、わたしはもうおりません」
うーん、私もおらんやろうなぁ・・・・この場所にかこの世にかは神のみぞ知る・・・
このところ、先の「ウイズたからづか」効果でしょうか、新しいお客様にお見えをいただきます。
先週は、野上二丁目にお住まいのNさん。以前から気になっていたがなかなか入りづらかったところ、ウイズたからづかの記事を読んでそういうところかと訪ねてくださいました。
お聞きすれば、元公立小学校長を務めておられたとのことで、公私と立場は違え、教育に携わるものには興味深いお話をおうかがいすることができました。
昨日は市内御殿山にお住まいのAさん。お子さんが仁川学院小の同窓で、藤飯治平先生の教え子とか・・・・
藤飯先生の生前、この記念館の庭先でビールを酌み交わしたこともあると懐かしそうに話してくださいました。
また、こんな思い出話も・・・お子さんが仁川学院小に在籍されていたある時、別の保護者が藤飯先生に「うちの子は勉強が嫌いで、絵描きさんにでもしたいのですが」と相談、先生はたちどころに「勉強が嫌いで、絵描きにはなれん!」と喝破されたのだとか・・・・
Aさん曰く、「そりゃ、センセは京大やからなぁ」・・・・
藤飯先生は、意匠建築に興味を持っていたとお話したところ、関学のご出身ということでヴォーリズのことなどを楽しく話してくださいました。
八十半ばとうかがいましたが、矍鑠とされていて、つぎは奥様とご一緒に再訪するとおっしゃてくださいました。
この土曜日にも新しいお客様をお迎えする予定です。ありがたいことですね・・・
- 2015.01.16
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赤い実
こんにちは、Y館長です。
昨年の館長ブログでお伝えした宝塚のタウン誌「ウイズたからづか」の新春第一号(2015年2月号)が届きました。
見開き二ページにわたってで仁川学院藤飯治平記念館のことが紹介されています。
取材に至った経緯は先のブログでご紹介したとおりですが、さすがプロのライターによる記事は雑駁なYの話を丁寧にまとめていただき読み応え十分です。
一読、これでYも立派な「藤飯治平」通!?
当記念館にも置かせていただきましたので、ぜひお手にとってご覧いただければ嬉しいですね。
記念館庭先のヒヨドリジョウゴ、すっかり葉を落として真冬の景観に相応しい姿ですが、その赤い実はなお艶やかに宝石のごとく輝いて目を愉しませてくれます。
数日前から、その赤い実を「ひよどり」が啄む姿を見かけるようになりました。
いやぁ、ほんまにひよどりが! 初めて見たときはちょっと感激でした。
赤い実の前で、器用にホバリングしながら啄んだり、ネットに上手に足を掛けて啄んだり・・・
何度かその様子をカメラに収めようとチャレンジしたのですが未だ果たせず・・・
実を啄んだあとで、満足そうにフェンスで憩う「ひよどり」の姿はかろうじて摂りましたのでこれにてご勘弁のほど・・・
鵯(ひよどり)のこぼし去ぬる實のあかき 蕪村
学院では、明日が中学入試、天候に恵まれて実力の出し切れる一日となればいいですね・・・
- 2015.01.06
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謹賀新年
明けましておめでとうございます、Y館長です。
乙未(きのとひつじ)の新春です。
白川静氏渾身の成果である「字通」には、祥・善の字は羊に従うとあります。
記念館の藤飯治平文庫の一冊、「聖書大事典」を紐解くと・・・
「羊の門」・・・・
エルサレムの再建はこの門から始められたとあり、また、イエス様はここで病人を癒やしたとあります。
その出典であるヨハネの福音書ではつぎのように語られます。
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている(10:14)
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる(10:15)
古代中国の知恵ともいうべき「干支」では、羊は群れをなす動物であることから家族の安泰を示しいつまでも平和に暮らすことへの祈願が込められているのだとか・・・
それらの字義どおり、この一年が「和と善」に満たされた幸多い一年であることを祈りたいと思います。
この週末には、そんな新春の喜びを多くの方々とともに寿ぐ機会である仁川学院ニューイヤーコンサートがコルベ講堂で開催されます。
ここ野上で、今年はどのような出会いが待っていてくれるのでしょうか。
今年も仁川学院藤飯治平記念館をよろしくお願いします。
- 2014.12.20
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Merry Christmas and a happy New Year
こんにちは、Y館長です。
ここ野上では朝から冷たい氷雨模様ですが、いよいよ今年も押し詰まってきましたね。
記念館も本日が年内最後の開館日、ということは館長ブログの更新も今回が年内最後・・・
今朝の通勤途上、うめだ阪急のメインウィンドウのスナップです・・・
この週末には、イタリア研修旅行に臨んでいた高二生が相次いで帰ってきます。それぞれの胸には多くの得難い経験と思い出を抱いてはつらつと帰ってくれることでしょう。
藤飯治平記念館も開館二年目の今年を、多くの藤飯治平ファンのあたたかい励ましのおかげで、恙無く終えることができそうです。
遠くから近くから或いは暑い中寒い中、決して便利とは云えないこここ野上四丁目にお越しくださった皆さんすべてににこころからのお礼を申し上げます。
来る年が良い年でありますよう、そして再び多くの皆さんと相まみえる幸いに恵まれますように・・・
今年一年の干支としての役割を終えようとする庭先の「はにわ号」が後ろ姿でご挨拶・・・・?!
新春は6日(火)から通常どおり開館いたします。
どうぞ良い年をお迎えください。
Merry Christmas and a happy New Year
- 2014.12.09
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藤飯治平の足跡
こんにちは、Y館長です。
イタリア北部、ヴェネツィアから100キロばかり西の内陸側にヴェローナという街があります。
シェークスピアは、14世紀のこの街を舞台に誰もが知る戯曲の名作「ロミオとジュリエット」を書きました。
藤飯治平先生は、83年の3月にこの街を訪れています。
そのときのスケッチブックに残されたヴェローナ風景・・・
ヴェネツィアは14世紀から15世紀にかけてヴェローナを支配していたのですが、92年の6月には、そのヴェネツィアを訪れています。
これは以前に紹介させていただいた、当時のスケッチブック・・・
先週、記念館にHさんとおっしゃる京都からのお客さまをお迎えしました。
藤飯治平先生の絵を何点かお持ちになっておられて、そのなかの一点がヴェローナ風景を描いたものということで、Hさんは、なんとその風景を見つけにイタリアはヴェローナまで足を運ばれたのだとか・・・!
そして、藤飯治平先生がここから描いたであろうという場所を発見し、実際に立つことができたのだとか・・・
スマートフォンに残された証拠(?)の写真をあれこれ示しながら熱心に語ってくださるHさんの楽しそうな表情に、Yもすっかり嬉しくなってしまいました!
同時にヴェネツィアも訪問されたそうですが、その動機がまたオモシロイ!
それは、敢えて冬のヴェネツィア、そう、あちこちにひたひたと水が押し寄せる、水没(は大袈裟か?)したヴェネツィアを歩いてみたかったのだとか・・・
うーん、なんかそんな発想というか思い入れ、Yも大好きですねぇ・・・・
藤飯先生も聞けば大いに気に入りそうなお話をあれこれ伺うことができた、記念館でのひとときでした。
そうそう、Hさんからはクリスマスも間近ということで、美味しそうなシュトーレンのお土産をいただきました。
イエス様のご降誕を祝いつつ、感謝の気持ちを込めていただくことにしましょう・・・
先週からの寒波もちょっとは和らいだようですが、来週からはまた気をつける必要があるのだとか・・・
平穏に過ぎる歳末であればいいですね。
- 2014.11.26
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くりかえされる出会い
こんにちは、Y館長です。
もうしばらく前のことになりますが、記念館に遠来のお客さまをお迎えしました。
Kさんとおっしゃるご婦人とその娘さん。わざわざ横浜から来てくださった・・・
お聞きをすれば、いまは素敵なお嬢さんに成長された娘さんが小学生の頃、ここ野上にお住いで、娘さんは藤飯治平先生の奥さん(月美さん)に絵を習われたいたのだとか。
以前も書いたことがありますが、おんな先生と呼ばれていた月美奥さんが小学生を、おとこ先生(藤飯治平先生)がそれ以上の生徒さんのレッスンを、いまは記念館となったこの野上の自宅でされていました。
お二人からは、その頃の楽しい思い出話をたくさん聞かせていただくとともに、懐かしいこの場所が記念館となったことを喜んでくださいました。
こういう様々な方々との出会いが館長冥利に尽きるひととき、感謝とともにお見送りし帰路のご無事とまたいつかの再開をお祈りしました・・・
さて、ちょっと遅くなりましたがサロン(展示室)でご覧いただける作品の展示替えを行いました。
このたびは3号、4号といった可愛いサイズの作品を中心に展示しています。
迫力という点では大画面に譲りますが、そんな大作とはまた一味違った藤飯治平先生の「小粋な」世界を感じていただけるのではないでしょうか・・・
11月もあと数日を残すのみ・・・
30日の日曜日から、イエス様のご降誕を祝うための待降節とともにカトリック教会の新しい一年が始まります。
今朝、学院の中庭からコルベ講堂を見上げると、そこには恒例の大きなおおきなクリスマスリースが掲げられていました。
ここ野上でも、すっかりお祝いの用意が整いました。
前回ご紹介したクリスマスリースも・・・
- 2014.11.19
- |カテゴリー:野上から
準備中
こんにちは、Y館長です。
カレンダーも11月の半ばを過ぎ、師走もすぐそこ・・・
カトリックの暦ではもう間もなく待降節(アドベント)の第一主日を迎え、新しい一年が始まります。
カトリック信者でなくとも、子どもたちにとってクリスマスは待ち遠しいもの・・・
最近では、おもちゃ屋さんの店先にアドベントカレンダー(待降節の始まりからイエス様のご降誕=クリスマスまでの日を数えるためのカレンダーで、24の小部屋を持つハウス型だったりツリー型だったりするもの)も普通に見掛けるようになりました・・・
毎日、わくわくしながら小部屋の扉を開ける子どもの眼差しを想像して、つい微笑ましくなる・・・というよりYも童心に帰ってそんな扉を開けたい気分に・・・
と書いていると、FMからはシューベルトの「アヴェ・マリア」が流れてきました・・・
そしてここ野上では、学院のT職員が丹精込めて作ってくれたクリスマス・リースを今年も飾るべく、A職員が準備に取り組んでくれています。
もうちょっと色華やかにということで、庭の「ヒヨドリジョウゴ」の実をたくさん散らします。
「ヒヨドリジョウゴ」はナス科の蔓植物ですが、記念館のゴーヤ簾用の網一面に赤い実を散りばめています。
実は苦く有毒だそうですが、ヒヨドリは平気で啄むのだとか・・・
記念館ではまだ実際に小鳥が啄んでいる光景は目にしたことがないのですが、ヒヨドリと思しき鳥は以前からチラホラ見かけます。
で、出来上がりました!
記念館の白壁を彩る日が待ち遠しい・・・・
- 2014.11.11
- |カテゴリー:野上から
「たからづか」といっしょ・・・
こんにちは、Y館長です。
先日のことですが、宝塚市を中心として発行されているコミュニティー誌「ウィズたからづか」から取材をいただきました!
当日は、編集長のTさん、ライターのHさん、それとご紹介の労をお取りいただいたIさん(仁川学院小の元教員で、仁川学院小時代の藤飯治平先生を直接ご存知です)にご来館いただき、記念館開館に至る経緯やこれからの抱負などをお話させていただきました。
Iさんからは、仁川学院小時代の藤飯先生の様子をお伺いしたり、Yにとっても実りの多い時間を楽しく過ごさせていただきました。
そうそう、Iさんは仁川学院のI教諭の奥さんで、そのI教諭は藤飯治平先生の後任として仁川学院に着任、Iさんと知り合うきっかけとなりました。
いうなれば藤飯治平先生がおふたりのキューピッド役を担われたわけで、ここにも藤飯先生を取り巻く縁(えにし)の一端が・・・
Y自身は藤飯治平先生と直接の面識はないのですが、これまで、先生を取り巻く様々な方々から多くのお話を伺ってきて、いまではほんまに旧知であるかのごとく懐かしい感覚で、あれこれお話をさせていただくことができます。
こんなご縁の輪がつながりながら、もっと多くの方々に「藤飯治平の仕事」の魅力を感じていただけたらと、そして、このたびの「ウィズたからづか」さんの取材を機にまた新たな輪が生まれることを願いつつ、ご訪問くださったT編集長やHさん、Iさん皆さんに感謝をしています。
拙いYのお喋りにお付き合いいただいた数時間、まことに恐縮でした!
予定では来年始めの掲載とお聞きをしました。そのときはまた大々的にご紹介させていただきます!
学校では二学期も残すところ一ヶ月、先週は仁川学院中学校の修学旅行も無事に終えたようで、仁川学院高校のイタリア研修旅行も間近になりました。
今朝の予報では明後日あたりから身をすくめる寒波とか・・・そろそろコートを引っぱり出さなくては・・・・