野上日記
野上から
- 2014.10.29
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訪問者
こんにちは、Y館長です。
今週初めには今年の木枯らし1号が吹き荒れましたが、朝晩の冷気に思わず身をすくめる、そんな季節がやってきました。
ここ野上では、館長執務室(!?)のガラス扉越しに、たわわに色づいた紅い実が今まさにの「秋」を感じさせてくれます。
その木枯らし1号の最中のことですが、PCモニターの画面からふと目を離して、そのガラス扉から庭先を眺めるとこんな光景が・・・
えっ、なんやようわからん?
ある部分を拡大してみると・・・
メジロです。日本に生息する野鳥の中ではもっとも小型の、なんともチャーミングで美しくカワイイ小鳥・・・
Yがそっと眺めるなか、数十秒、小首を傾げながらちょんちょんと遊んでいった、束の間の訪問者・・・
木枯しや鐘に小石を吹きあてる 蕪村
さて、Yが木枯しで思い浮かべるものといえば・・・・
真っ先に脳裏をよぎるのは・・・シンシアの「色づく街」・・・
つぎは・・・イメージは一変して、上州新田郡三日月村・・・あっしには関わりのねぇ木枯し紋次郎・・・
メジロを見逃したA職員にそのカワイサを話したところ・・・
これで、また呼び寄せるのだそうです・・・
- 2014.10.27
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芸談・・・芸術の秋
こんにちは、Y館長です。
秋もすっかりたけなわで、来週はもう「文化の日」・・・
文化の日と云えば、皇居での文化勲章親授式が当日のTVニュースを賑わせますね。
先週金曜日には今年に受賞される方々の発表もありました。
三人の同時受賞で国中が沸き返ったノーベル物理学賞の中村先生と天野先生。赤崎先生はすでに2011年に受賞されています。
その他に各界で業績を残された五名の方々が受賞されたのですが、関西在住のYにとってひときわ印象的なのが文楽太夫である竹本住大夫師・・・
この春、惜しまれつつ現役を引退されましたが、Yもそれに先立つ新春公演を国立文楽劇場で観させていただきました。
演目は「近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)」堀川猿回しの段、登場人物のこころうちを様々に語り分け単に泣かせるだけではないその至芸をこころから堪能させていただきました。
で、ここからはいきなりYの極私的なお話になるのですが、実はその受賞者発表の翌日、先の土曜日に某所でその住大夫師とお目にかかる機会があり、お目にかかるばかりか小一時間、その芸談を直接お伺いする幸せに預りました!
そのときに、「いやぁ、もうこないに歳とってからに、写真は嫌いでんな」と仰るのをここで挫けてなるかと、Yも気合を入れて無理矢理撮らせていただいた・・・
そのうえ、この写真のシャッターを押してくれたのが、師の介添えとして付いておられた文字久大夫師!
新春公演では、住大夫師の前の四条河原の段を語っておられました。
そんな畏れ多い現場で厚かましくお話を伺ったのですが、「芸に完成はない、毎日が勉強、挑戦」という表現者としての姿勢と、陽の当たらない場所で支えている方たちへ感謝し労い気遣われるその姿に、多くのことを感じさせていただいた至福の時間でした。
と同時に、仁川学院名誉学院長である園田神父から常々聞かされた「教育が担う人格の完成に終わりはない」という使命感に改めて思いを新たにすることでもありました。
写真の右は、その席にご一緒におられた関西浪曲界の重鎮でいらっしゃる京山小圓嬢師。
小圓嬢師からも芸歴七十年のうえに培われた含蓄あふれる様々なお話をお伺いし、Yにはなんとも豊穣な芸術の秋を堪能させていただいた得難い時間でありました。
そうそう、写真はトリミングで住大夫師と小圓嬢師ですが、Yもしっかり小圓嬢師のおとなりで写ってますので念のため・・・・!
- 2014.10.16
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モデルとファン
こんにちは、Y館長です。
台風一過、昨日はこの秋一番の冷え込みで、きょうも庭から射し込む秋の日差しが恋しい記念館です・・・
先週、藤飯治平先生とたいへん縁(ゆかり)の深い方が記念館を訪ねてくださいました。
この絵は、藤飯治平先生が83年に制作された「バレリーナ」です。アトリエの、大きなイーゼルに架けた先生の肖像写真の対壁に、まぁ、「見つめ合う」感じで展示されています。
記念館を訪ねてくださったのは、この絵のモデルをされたバレリーナのTさん・・・
伺うとTさんは仁川学院小学校の卒業生で、Tさんご自身は直接には藤飯治先生の教え子ではなかったのですが、その後入学されたご妹弟が取り持つ形でご縁が始まったのだとか・・・・
Tさんがプロのバレリーナとして活動を始めた頃から藤飯先生がTさんの舞台を鑑賞されたりというお付き合いの中で、自然に先生のモデルを引き受けることに・・・
先生がTさんを如何に気に入っておられたかということは、残された作品がそのすべてを語ってくれているように思います。
この記念館のアトリエに残された作品のテーマで一番多いのがTさんを描いた様々な作品分でした。油絵、水彩、パステル、素描・・・
Tさんは先生所縁(ゆかり)の地が記念館として残されたことを大変喜んで下り、このたびは僅かな時間でしたが、Tさんならではのお話を心地よくお伺いすることができました。
次の機会にはぜひゆっくり時間を取って頂いてもっとディープ(!?)な藤飯治平像を伺いたいものと、勝手に考えています・・・
お客さまと云えば、もう一月ばかり前のことですが、京都は大原野からAさんとおっしゃるご婦人が訪ねてくださいました。
伺えば、昔からのアルフィーのファンで、CDアルバム「アルカディア」のジャケットに描かれたバベルの塔から藤飯治平先生に興味を持たれて訪ねてくださったのだとか・・・
バベルの塔の大作は、こ記念館には収蔵されておらず(仁川学院の図書館には常設展示されています)、ご覧いただけたのはアルバム発売時の大判ポスターだったのですが、その情熱は素晴らしい・・・
いわゆるファン気質というのでしょうか、そういう情熱の波動がアーティスト(ジ・アルフィー)のクリエイティブな創作活動のエネルギーになっているのでしょうね・・・
そういう意味では、藤飯治平先生はバレリーナTさんの熱烈なファンだった、ということでしょうか・・・
ところでこの絵に描かれたバレリーナの衣装はTさんのお手縫いなのだそうです。うーん、素晴らしい・・・
- 2014.10.09
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Luna rossa
こんにちは、Y館長です。
あれっ? このブログ、つい先日更新したばかり、ですがものごとには旬ということもあるので・・・
三年振りに観られた皆既月食ですが、天候はじめ諸条件に恵まれた束の間の天体ショーをYもしっかり見上げておりました。
写真はYの住まいから5分ほど、淀屋橋は日本銀行脇から見上げた「Luna rossa」・・・小さなデジカメで1秒以上というスローシャッターですからブレてなんだかよくわかりませんが、それでもまさしく「紅い月」・・・
肉眼ではもう少し灰暗色に眺められましたが、写真ではやっぱりアカイツキですね。
「Luna rossa」はイタリア語の紅い月ですが、同タイトルのカンツォーネが有名で、フランスに渡ると「Prière à la lune」(月への祈り)という副題がつけられてシャンソンとして歌われているとか。
アメリカでは「Blushing Moon」、ポール・アンカが訳詞をつけてシナトラに捧げたのだとか・・・
Yなどは、なかにし礼の小説「赤い月」を思うのですが、ここでの赤い月は「Luna rossa」で歌われたとは真逆の凄絶なイメージ・・・
見上げたひとの数だけ、それぞれの思いを呼び覚ます、やっぱり神秘な「アカイツキ」でした・・・
- 2014.10.07
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秋本番
こんにちは、Y館長です。
台風一過の秋らしい気配が満ちた記念館の庭先ですが、この週末にはつぎの台風が列島を窺うらしいと朝のニュースが報じていました。
先週は、仁川学院小の入学試験、学校法人仁川学院の創立記念日、仁川学院中高の学院祭と恒例の行事が続きましたが、天候にたたられることもなくそれぞれ無事に終えることができたようです。
10月3日は学院の師父であるアシジの聖フランシスコのご命日、そして10月4日はカトリック典礼暦でいう聖フランシスコ(アシジ)修道者の記念日でした。学院の創立記念日もその記念日を創立の日として設けられました。
これからも様々な秋行事が予定されていますが、子どもたちの思いをくだくことなく終えられればと願っています。
とはいえ、地域が変われば大変な災禍のニュースも聞こえてきます。一日も早く落ち着いた生活に戻ることができるよう願っています。
秋、といえばやっぱり「芸術の秋」と応えるべきでしょうね、Y館長としては・・・本音は「食欲の秋」で決まりなのですが・・・
TVのニュースでも、そんな話題が増えていますが、今年の正倉院展(奈良国立博物館)では『鳥毛立女屏風』が、京都国立博物館では『国宝 鳥獣戯画と高山寺』が鑑賞できるのだとか。
ここ藤飯治平記念館でも、負けじと(!?)秋の展示替えを企画中ですが如何相成りますか、乞うご期待!!!
ところで明晩は三年ぶりの皆既月食とか。天候も問題なさそうで興味のある方は東の宵空に注目です。
※画像はYahoo!ニュースより
- 2014.09.25
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彼岸花
こんにちは、Y館長です。
明日は彼岸明けで、暑さもここまで・・・といけばいいのですが、台風の影響でしょうか、今朝から蒸しています。
それでも着実に季節は移ろい、学院の芝地の真ん中に彼岸花・・・
数年前まではもっと一面に咲き誇っていたと覚えているのですが、今年はいささか控えめ・・・年々歳々、営々と花をつけるわけでもないのでしょうか・・・
ところで、いも虫事件以来、記念館の庭もすっかり秋模様ですが、ここにも彼岸花・・・
ちょっと珍しい(ん? Yが知らんだけ?)黄色の彼岸花ですが、去年は咲かなくて、今年気がつけば見事な花を咲かせてくれました。これもA職員の日頃の手入れの賜物・・・
黄色い彼岸花は、欧米で作られた園芸用の品種らしいのですが、そのように聞けば、「彼岸花」という和名より「リコリス」という洋名が似合うと思えてくるからオモシロイ・・・・
それにしても、赤も黄色も、ちゃんとお彼岸に花をつけるところが素晴らしい・・・
Yの田舎の家からほど近い、小高い墓地の斜面いっぱいに咲いた彼岸花の群生を、その一面に拡がった朱の色を、いまでも鮮やかに瞼の裏に蘇らせることができます。
GONSHAN(ゴンシャン).. GONSHAN(ゴンシャン)..何処へゆく
赤い御墓の曼珠沙華(ヒガンバナ)、曼珠沙華(ヒガンバナ)、
けふも手折りに来たわいな。
白秋 「思ひ出」
なにかそんな野に咲く花の群生を目にする機会がめっきり少なくなりました、たとえば春のレンゲ草、夏のひなげし、秋のコスモス等々・・・
- 2014.09.19
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舞妓と国境と・・・
こんにちは、Y館長です。
先日、いまや無精者の一線を越えて、一時は流行語となった「カウチポテト族」と云ってもいいような生活スタイルのYには珍しく、ミナミの映画館で封切り間もない映画を観ました。
「舞妓はレディ」
※公式サイトより
周防正行がメガホンをとった、「マイ・フェア・レディもの」の和製ミュージカル。
オーディションで主役に抜擢された上白石萌音、前評判通りの好演で、というより彼女という個性なくしては成り立たないのではとさえ思えるほど、ハマりにハマったキャスティングの妙・・・・
特にミュージカルといったスタイルに拘る必要のない歌あり踊りありの「娯楽映画」の一級品、満足して映画館を後にしました。
さて、今日は遠い他国のことではありますがスコットランドの独立を巡っての住民投票の開票日・・・
PCの画面上には、BBCの速報ライブの画像が流れていますが、今現在(11時12分)32の自治体のうち4自治体の開票を終えていて、独立賛成票が42%ととか・・・・
ここ数日来、マスメディアではその行方と結果が及ぼすであろう様々な影響を喧々と伝えていますが、さて如何相成りますか・・・
ニュースを伝えるBBCキャスターの深刻な表情を見ながら、ミーハーというより野次馬気分のYには、昔読んだ井上ひさしの大部の小説を思い出します。
「吉里吉里人」がそれですが、東北の小さな村が突如、日本から独立をするという荒唐無稽なシチュエーションを独自の視点で描いた長編小説。雑誌連載後に単行本として上梓された際は、小さな活字で二段組、厚さは優に5センチは超えるという体裁にびっくりした記憶があります。
とまれ、新たな国境の出来る出来ないという騒動の向こうに窺う「国境のない世界」とは、どのようなものでしょうか・・・
「フランシスコの平和の祈り」の由来となったアッシジの聖フランシスコ・・・あと二ヶ月もすれば、今年も高校二年生がアッシジへの研修旅行へと旅立ちます。
いま進めているネガフィルムの整理ですが、藤飯治平先生の訪れたアッシジ・・・
アッシジとそこに暮らす人々への眼差し・・・Yは藤飯先生の写真を眺めながら、ふとユトリロ、アッジェを想う・・・
- 2014.09.10
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秋の蟲
こんにちは、Y館長です。
これは、以前のブログに掲載した記念館玄関脇の様子です。
ちょっとお洒落なガーデンチェアと白壁を伝うグリーンの対比が素敵でしょ?
あれれ・・・!
こちらは今週始めの同じ場所・・・・
あの、アオアオとした葉っぱが・・・・蔓のみが儚げに壁にしがみついています。
その数日前・・・・
いも虫! こっちにも、あっちにも、あんなとこにも、こんなとこにも、そこにも、あそこにも・・・・
Yが暮らす大阪の中之島界隈では、例えば裁判所敷地の植え込みの根本や中之島公園の芝生のなかでコオロギやスズムシが秋の音(ね)を奏で始めていますが、ここ記念館では、いも虫の大量生育中・・・・
それに気がつく直接のきっかけは
ガーデンチェアの足元に散らばる大量の黒い点々、いも虫の糞でありました!
で、見上げた先に数十匹の「むし」たち・・・最初は?ということで、間近に目を近づけてひぇ~と正直、怖気づく・・・
けど、しばらくじっと見ていると、何やら可愛らしく見えてくるからひとの感覚というものはオソロシイ・・・?いや、オモシロイ・・・
平安時代後期の物語集「堤中納言物語」のなかでも最もポピュラーなものは「虫めづる姫君」の物語であろうと思いますが、その冒頭で姫が語る
「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ 人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」や
「烏毛虫の、心深きさましたるこそ心にくけれ」
が実感として首肯できるのです。(ちなみに、この姫、風の谷のナウシカに描かれたナウシカのモデルであるとか)
それにしても、このいも虫たちの食欲の旺盛さは想像を絶します。
あれだけ盛っていた大きな葉っぱが三日ばかりで、丸坊主。
丸坊主の蔓だけの惨めな姿に成り果てた後、さて彼ら(彼女ら)の、その後の食糧事情は如何相成るものかと人ごとながら(?)多きに心配をしていたのですが、その翌朝・・・一匹残らず何処かへ煙のごとく消え去っておりました・・・
どこかで華麗に変身を遂げ優雅な舞で魅せる蝶の群れを想像しつつ、Yもひとときの夢想に遊ばせてもらいました・・・
ところで、昨日は九月九日、旧暦になぞらえれば重陽の節句、そして暮れ果てた天空では煌々としたスーパームーン・・・
一昨夜は中秋(旧暦八月十五日)・・・
Yの住まいから見上げる今年の名月・・・
名月や浪速に住んで橋多し 漱石
- 2014.09.04
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残された風景・・・旅の記憶
こんにちは、Y館長です。
月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり
言わずと知れた「奥の細道」の冒頭ですが、時の流れが終わることのない旅であれば、その時とともに歩むひとの人生もまた、死に果てるまで旅の途中であるということでしょうか・・・
などと書き出して、ふと薬師丸ひろ子を思い出しました・・・・!
たんに「途中」という言葉が引き金になっただけの戯れですが、それにしても以前、テレビジョンで観た薬師丸ひろ子の35周年記念コンサート・・・
よかったですねぇ・・・終盤で歌った「夢の途中(セーラー服と機関銃)」・・・いえ、この曲だけというのではなくこれまでの薬師丸の「夢の途中」つまりは「旅の途中」というものが如何に深く輝いているものか・・・
Yの如き爺世代は、まさにそれらの歌を時代の背景として生きてきたのですから、弛みやすくなった涙腺も溢れようというもので・・・時代といえばアンコールで歌った「時代」も本家みゆきとはまったく別の趣で魅せてくれた・・・
あれ? 何を書き始めようとしたのだったか・・・そうそう、この間から藤飯治平先生のスケッチブックの整理を進めているのですが、先日から平行して残された膨大な写真フィルムにも手を付けました。
取り敢えずは、ネガフィルムをPC上でデジタル化することから始めているのですが、まさに藤飯治平が残した「時の記憶」と言えるそれらの写真の数々・・・
まだまだほんの取っ掛かりに過ぎませんが、それでもフィルムに触れていて、一コマたりと冗長な無意味なコマの無いことに驚かされています。
いまやカメラのデジタル化は99.9%を超えているでしょうか、カメラやスマホのメモリー上でデータとして使い捨てられる安直な「時の記憶」を思う時、自戒を込めていま考えるべき何かがあるようにも思えます。
そんなわけで(どんなわけ?)、おそらく73年と思われるギリシャを中心とした取材旅行の際に見たであろう「藤飯治平の目」をいっしょに感じてみてください・・・
これからも処理が終わったものから順次ご紹介させていただこうと思っています。
学院ではすべての校園で二学期がスタートしました。記念館でも秋の展示替えを計画をしています。
すべてのことに実り多い秋であればいいですね。
- 2014.08.26
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夏の終わりの日曜日
こんにちは、Y館長です。
先の日曜日、藤飯治平先生が長く絵の指導をされていたHさんとおっしゃるご婦人をお訪ねして、所蔵されている先生の絵を拝見させていただく機会がありました。
Hさんのお宅は、この記念館とは目と鼻の先と云ってもいい野上二丁目です。
現在は、ご主人を先に見送られて、子供さんも隔地にそれぞれお住まいとのことで、この「坂道の野上」では買い物を始めとした生活にご不自由があるため、一年余り前から同じ宝塚市内のケアサービス付き住宅にお住いです。
Hさんとは以前から懇意にされているギャラリープチフォルムのA社長とご一緒にお訪ねしたのですが、「これは藤飯先生が取り持つてくれたご縁ね」と、大層喜んでくださり、一緒に野上のお宅まで同行してくださいました。
伺ったお宅は、長い主(あるじ)の不在を微塵も感じさせない温かい雰囲気が満ちていて、よく経験する人が住まなくなった家の寂寞感、荒涼感などまったく感じられません。
同行していただく車中で問わず語りにお聞きしたのですが、この野上に住みたくて幼子をおぶいつつ、当時の生活が許す条件で何とか手に入れられる物件をと、地域の周旋屋さんを尋ね回ったのだとか・・・
そんな想いからスタートしたH家の野上の歴史・・・・
しばらく主(あるじ)が居ないとて、揺らぐべくもない、ということでしょうか。
そのお宅の壁に飾られた藤飯治平先生の作品、二十号ほどのゴシック様の教会と思しき建物を描いた油絵をはじめ、水彩の小品が数点・・・
藤飯作品と並べて、Hさんが描かれた油彩の風景画や亡くなったご主人の肖像スケッチにご自身の自画像、或いはご主人が描かれた水墨画なども壁面を飾っています。
これらの作品が、主(あるじ)に代わってこの家を守ってくれている、そんな思いをそれらの絵を拝見しつつ感じていました。
Hさんの自画像が、いつとはなしに、柳田國男が遠野物語に著した「座敷ワラシ」に見えてきたりして・・・
そのお宅の玄関に再び鍵を掛けて帰りの車に乗り際、「ほんとはここに住んでたいのよね」と後ろも見ずにつぶやかれた言葉が印象的でした。
その帰りの車の中でお話されたつぎの言葉は、もっと印象的でした。
「わたし、絵を描きたくなったわ・・・このまま独りでぼやぼやしていたら駄目ね・・・この機会をありがとう・・・身震いするほど嬉しいわ・・・」
Hさんは、三十年近く藤飯治平先生にアトリエで絵を習っておられたとのこと・・・まさにアートの力を感じたひとことでした・・・