野上日記
野上から
- 2014.02.25
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もうひとつの画業
こんにちは、Y館長です。
痛快、感激、感動、無念、残念、驚愕、喝采、呆然、涙、笑い・・・そんな数々のエピソードに彩られたソチ五輪も無事に閉会しましたね。テロの脅威も心配されましたが無事に終えられたことは幸いでした。
毎朝眠い目をこすっていた五輪フリークには、寂しいやらほっとしたやらというところでしょうか・・・
さて、これをお読みいただいている皆さんは、「船場」(せんば)という大阪の地域名をご存知でしょうか?
大阪商人(あきんど)活躍の中心地として多くの小説(たとえば谷崎潤一郎の細雪や春琴抄)や映画、TVドラマの舞台となっているので、大方の皆さんにとって一度は耳にされたことがあるでしょうか・・・
もともとは東西を東横堀川と西横堀川、南北を長堀川と土佐堀川という、周囲四方を川(堀)で囲まれた地域でしたが、現在は西横堀川と長堀川は既に埋め立てられ、それぞれが四ツ橋筋東の阪神高速の高架下と長堀通となっています。
幸いにも東横堀川と土佐堀川は現在も淀川からの水を湛え、水都大阪の往年の面影や風情の片鱗を今に伝えてくれています。
そんな「船場」の町のひとつに「道修町」と呼ばれる町があります。読み方は「どしょうまち」・・・
御堂筋を中心に据えれば、船場の北端である淀屋橋から今橋、高麗橋、伏見町、道修町と続きます。現在の地下鉄になぞらえれば淀屋橋駅と本町駅の真ん中くらいでしょうか・・・
その道修町通は、江戸時代から続く我が国唯一の「薬種問屋の町」で、現在も錚々たる製薬メーカーの多くが本社やオフィスを置いています。
私事ですが、Yには住まいも近く、初詣は道修町通の真ん中にある神農さん(少彦名神社、境内入口には春琴抄の碑もあります))にお詣りするのをここ数年の慣らいとしています。
先週の一日、その道修町に、我が国を代表する製薬メーカーのひとつである塩野義製薬の本社を訪問させていただきました。
シオノギと聞いてYが真っ先に思い浮かべるのは、ザ・ピーナッツの歌う“歌おう踊ろう今夜はみんなのラララミュージックフェアー”というテーマ曲で始まる歌番組。司会は長門裕之・南田洋子夫妻・・・いつものことながら、ふるぅ~!
あっ、旧(ふる)いのはYだけで、番組は変わらずシオノギ提供で司会者の世代交代を重ねながらいまも続く人気番組ですからね・・・
そうそう、CMでは仲代達矢の「明日のために今日も飲むポポンS」や「頭痛歯痛に、はいセデス!」というのもありましたね。
その塩野義製薬さんが1991年に社屋を建て替えられた折に、取り壊される旧社屋の絵画の制作をギャラリープチフォルムのA社長を通じて藤飯治平先生に依頼されたのでした。
その絵画は、現在、塩野義製薬本社に大切に展示(一般公開ではありません)されており、このたびお願いをして拝見させていただくことができました。
30号と思しき油彩画が二枚。
描かれたその凛とした建物の佇まいに、その建物が刻んできた歴史や藤飯治平先生が建物との対話を通じて絵筆に込めたであろう思いが充ちていました。
新社屋の同じ階の一角には、この絵に描かれた旧社屋の玄関エントランスの扉やステンドグラスといった設えがそのまま移築されており、会社の、道修町の盟主としての誇りを強く感じとることができました。
道修町に限らず、それぞれの町のそれぞれの商人魂の矜持が、いまの大阪と云わず日本を支えているのだとの思いを拡げることのできるひとときでもありました。
ところでこの右側の絵にはユニークなことがあって、こちらは玄関エントランスの内側から道修町通を眺めた構図となっているのですが、ガラスの向こうにはシオノギのお向かいさんである、これも我が国を代表するT製薬の本社が描かれていると思われるのですが、その建物が瓦屋根のいかにも船場の商家風!に描かれています。
藤飯先生が取材された90年代にはあり得ない光景で、描く際に、先生が想像の羽を伸ばされたものでしょうか、或いは施主さんとのコミュニケーションの中で思いつかれたのかも・・・
いやぁ、絵画ってほんとぉに面白いですねぇ、それではまた来週!
※今回の訪問でお世話になった塩野義製薬総務部のH課長と、ご紹介の労をお取りいただいたギャラリープチフォルムA社長に感謝申し上げます。ありがとうございました。
※道修町通には、明治期に建てられ、船場商家の典型として重要文化財に指定された「小西家住宅」があります。谷崎が春琴抄の舞台としたとも云われます。内部は非公開ですが、外観は外から眺められます。道修町通と堺筋(道修町三丁目交差点)が交わる北東角です。
- 2014.02.15
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ソチ五輪雑感
こんにちは、Y館長です。
今朝、通勤の途上、阪急梅田駅前の交差点で新聞の号外が配られていました。
Yも出掛けに朝のニュースで知ったのですが、フィギュア男子の羽生選手が金メダルに輝いたとのこと。
これで、日本のメダルは四つ目(ですよね?)、そのうち三つは十代の若人によってもたらされたもの・・・
試合後の感想にも各選手それぞれの個性と若い感性が溢れていると同時に、五輪という目標が自分の人生にどのように関わりそこから何を得、そしてつぎの目標にどのようにつなげていくのか、そこからは借り物ではない自分の意志を明確に持っている姿が浮き彫りにされていて、TVで観ているYにも頼もしく爽やかに感じることができました。
もちろん彼らは仁川学院の生徒ではないのですが、同世代の教育にいささかでも関わっている身には“励まされる”こと多かりき・・五輪かな・・・
冷たい日が続いていますが、ここ野上では昨日の雪もすっかり解けて、それでも空はどんより冬曇り、ときおり突風が庭の木々を震わせています。
今回の五輪はロシアのソチで行われているのですが、藤飯治平先生は‘67のパリ留学時代に旧ソ連へも取材旅行をされています。
まだ全部の整理が終わっていないのですが目についた‘67年9月の年号が記された写生帖。
内にはおもにオーストリア、スイスでの風景が鉛筆でスケッチされているのですが、残念ながらロシアの風景を見つけることはできませんでした。
そのかわり、写生帖の裏表紙には「さなえちゃん」ではなく、こんなイタズラ書き様の書き込みが・・・
ロシア語でサインの練習・・・かなっ?
ソチ五輪といえばもうひとつ。
数日前の休日、TVで五輪中継を眺めていました。
競技は女子アルペンのスーパー複合。残念ながら日本からのエントリー選手はいないので、TV的にはさして評判になる競技でもなかったのでしょうが、その放送を観ていてビックリ・・・
何がって、「ありゃ、ユーミンが解説してる!」
と錯覚するぐらい、解説を担当されている方(あとで調べると川端絵美さんとおっしゃるそうです)の声質といい口調といい、間といい、間投詞感嘆詞形容詞の使い方に至るまで、ほんま、往年のユーミンのDJを彷彿とさせるのです。
二十年近く前、ちょっと理由があって土曜日の遅い昼下がりに車を運転することが多く、そのときに流れてくるのがユーミンのDJ番組・・・
ファンというような入れ込んだ聴き手ではなく(Yはユーミン派というよりはみゆき派で・・)ただカーラジオから流れる声を聞き流していたに過ぎないのですが、それでもユーミンの声には聴いているだけでどこかこころの琴線を癒やされるというかほぐされるというか、そんな感じがして、ついついダイヤルを合わせてしまうんですね。
そんな時代のユーミンが蘇ってきたようで、いやぁ、びっくりして、その後女子滑降でも解説をされていて、その理知的な内容も心地よく、競技ではなく解説を聞くために五輪中継を見るという新しい経験を樂しんでいます。
実は今日の午後も女子スーパー大回転が川端さんの解説で放送される予定と知ったので、しっかり録画予約をして出勤するYでありました・・・
節分が終わり五輪が終わると、もう雛祭り。別れと出会いの春もすぐそこです。
- 2014.02.08
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旅・・・ジャーニー・・・
こんにちは、Y館長です。
今週頭に、藤飯治平先生が長く所属されていた宝塚ロータリークラブの例会にお招きいただき、仁川学院藤飯治平記念館開館に至る経緯をお話させていただくとともに今後のご鞭撻をお願いさせていただくことができました。
会員の皆さまにはたいへんご親切に迎えていただき、これからの記念館運営に向けて大いに励まされました。会長様はじめお世話くださったすべての皆さまに感謝申し上げます。
さて、今日未明というか昨日深夜というか、冬季五輪のソチ大会も開幕しましたが、いやぁ、今朝は冷たい!
ここ野上でも、屋根屋根の連なりにはうっすらと雪化粧が・・・
大学入試もたけなわですが、受験生には、新しい「旅立ち」の、その一歩の大切な節目のとき、大過なく終えることを祈っています。
それにしても「旅」っていい言葉ですね。
旅・・・旅行・・・
こう並べてみるとそれぞれにニュアンスは違うようで、旅行に比べて旅のほうはもっと茫漠として、なにやらこちらのほうがミステリアスで深い・・・そんな気がします。
西欧の言葉では、トラベルが旅行で、旅はジャーニーでしょうか。
グレート・ジャーニーなんぞという壮大なイメージには、もう先見えたYでさえ、ちょっとは心ときめかすことができます・・・
藤飯治平先生も、多くの旅をされました。
画家としての道程そのものが「大いなる旅」だったことでしょう。
また、毎年のごとくに重ねられた多くの取材旅行も、目的地を主語に据えれば「旅行」=「トラベル」でしょうが、それぞれを先生の人生のマイルストーンと考えれば、連綿と続くグレート・ジャニーの一部・・・
記念館には、そんな先生の「旅」の証しが大切に残されています。
そう、写生帖、スケッチブックです。
これをぜひ多くの方々に観ていただきたいものと整理を進めているのですが、さてどんな方法が相応しいのか、経年で傷みが激しかったり、鉛筆、パステル、水彩が混在していることも厄介で、もう少しお時間をいただいてと考えています。
そんなことに思いを巡らせながら、思いつきでこんなものを作ってみました。
先生の写生帖のミニチュア!
もう一冊
なかなかの出来栄えと自画自賛をしながら、記念館グッズとして売れるかなぁ、なぞと取らぬ何とかの皮算用・・・さて、えぇ算盤が弾けますかどうか。
というところでまた来週!
- 2014.01.31
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京都(みやこ)の一日
こんにちは、Y館長です。
先の日曜日、所用があって京都を訪れました。
目的はこれでした。
四条は南座での長唄の会・・・
お囃子連中として居並ぶのは宮川町のお姐さん方。
実は何を隠そう(別に隠すような大したことではないのですが、ここはちょっと勿体つけさせていただいて)Yには、「三味線」という、なんとも奥ゆかしい(自分で言うか?)趣味がありまして・・・
かれこれ十数年のキャリアですが、腕前は、まぁ、人里離れた一軒家を閉めきって、がよろしいようなことですが、相弟子の方たちには凄腕のひとも多く、プロとして活躍されている方も相当におられます。
ここ数年は師匠の健康上のこともあって、お稽古から遠ざかっているのですが、お仲間のひとりが、京都の杵屋某の門弟で、そのお浚い会を兼ねた催しに招かれたというわけで・・・
Yの三味線は、使う三味線は細棹と呼ばれる長唄三味線ですが、一般には端唄(はうた)と呼ばれるジャンル。
長唄の合方(あいかた)と呼ばれる三味線の独奏部分も浚ったりはしておりましたが・・・まぁ、長唄よりはもっとお手軽なものですが、こちら長唄は一曲十数分から、曲によっては二十分はゆうに掛かろうかという本格派。
番組には宮川町や上七軒、祇園甲部の京都花街のお姐さん方もにぎやかに出演されていて、客席には本衣装の芸姑さんのお姿も・・・きれいおすなぁ・・・
引けて南座を出てみると、初春の雪がちらほら・・・いやぁ、こっちもよろしおますなぁ・・・
ところで京都と云えば、藤飯治平先生の母校は、あの!京都大学!!
証拠(?)の卒業証書・・・成績証明書はまだ発見に至っておりません、念のため!
所縁の方々から伺うと、藤飯治平先生はもともとは建築家の道に進みたかったとか。
ただ京大には工学系の建築部しかなく、物理、数学が苦手なため、経済学部で間に合わせた(!)のだとか・・・
普通の人(でえぇですよね?)であるYには、「経済学=(限りなく)数学」という等式が成り立つと思われるのですが、まぁ、偉い人の頭の中は想像も及びません。
そんな先生が描く京都風景、しばしご覧ください。
京大の時計台
嵐山は渡月橋
御室は仁和寺
銀閣寺逍遥
気がつけば一月も今日が晦日、節分もすぐそこに・・・
ギャラリー プチ フォルムでの「藤飯治平展」も一週間を残すのみとなりました。
ぜひこの機会に、記念館の所蔵品から伺われるのとはまた趣きの異なる藤飯治平画伯と出会っていただければ嬉しいですね。
巷では、ノロウイルス、インフルエンザが流行の兆しとか。
ぜひご自愛いただき、また来週!
- 2014.01.25
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新たなめぐりあい
こんにちは、Y館長です。
1月中旬以降、記念館の内外で藤飯治平先生の様々な「顔」に触れる時間や機会が多くありました。
そうそう、Yのご幼少の砌というか若かりし頃は「様々な顔」をテーマにした映画やドラマが目白押しでした。
映画で真っ先に思い出すのはやっぱり片岡千恵蔵演ずる「多羅尾伴内」シリーズでしょうか。
「あるときは私立探偵、あるときは片目の運転手、あるときは謎の手品師、またあるときは中国の大富豪、しかしてその実体は正義と真実のひと 藤村大造だ!」
東映ビデオより
小林旭がリメイクしたり、テレビドラマになったり、Yよりもう少し若い世代には、昨年末に急逝した大滝詠一が別のイメージで見せるときの変名に使ったり・・・
先日は作詞家である川内康範の特集をテレビジョンで見ました。川内康範のキャリアの出発点は「月光仮面」の企画・原作・脚本・作詞であることは有名ですが、その後放映された「七色仮面」も川内氏の作品だそうです。
・・・ななつのかおのおじさんの、ほんとのかおはどれでしょう・・・・たちどころにYの脳内には七色仮面の主題歌が鳴り渡ります。あぁ、なつかし!
イタリアのマスカレードもそうですが、人のこころには変身願望というか、仮面願望が潜んでいて、ときにはそういう物語に仮託して、そんな欲求を発散しているのでしょうか・・・洋の東西を問わず、文学、音楽、映像といったジャンルを問わずいっぱいありますもんね。
あらら、閑話休題。藤飯治平先生のお話でした。
まずは、藤飯治平展を開催中のギャラリー プチフォルムでお目にかかった藤飯先生の従兄弟さんであるT氏ご夫妻。
T氏はその顎鬚を蓄えた風貌が藤飯先生を彷彿とさせ、先生若かりし頃のエピソードを聞かせていただきました。それによれば、何でも藤飯先生は魚の絵ばかり描かれていたとのことで・・・
魚の絵といえば、浅学なYには日本での西洋油絵の開拓者である高橋由一の、新巻鮭というか塩鮭を吊り下げて、半身を削いだり片身を削いだ絵ぐらいしか思い浮かびませんが、たしか東京芸大美術館で見た、片身を削がれた新巻鮭の大きさと迫力、その描写のリアルなことに仰天した覚えがあります。
重文、東京芸術大学美術館蔵
藤飯センセの、「そのこころ」は、いまとなっては窺い知れませんが、ひょっとしたら由一に寄せる思いなどもあったのかもと想像を逞しくするのは鑑賞者の自由ですから・・・
ちなみにT氏に、先生の描かれた魚は美味(うま)そうでしたか?とお尋ねすると・・・不味(まず)かったとのお答えを返していくださいました!?
同じ時に、藤飯先生の古くからのお弟子さんというご婦人のYさんにもお目にかかることができ、今後もお弟子さんならではのあれこれをお聞かせ頂けるものと嬉しく思っています。
また先週は、藤飯先生の園田学園時代の教え子さんが、立て続けにお二人、記念館を訪ねてくださいました。
おひとり目はTさんとおっしゃるご婦人でした。聞けばご子息が東京芸大で芸術家を目指しておられるとか・・・これもまぁ隔世遺伝の一種(?)でしょうか。
おふたり目はH氏とおっしゃる物腰の柔らかい紳士・・・藤飯先生が園田学園小学校で教頭をされていて、英語と図工の授業を受け持たれていたことや、クラスのエピソードなどを楽しく聞かせてくださいました。
一昨日には、藤飯先生が額装を頼まれていた大阪の老舗額縁店のご主人Kさんが来てくださいました。
記念館の開館準備で、雑誌の整理をしているときに、藤飯先生とKさん、それにギャラリー プチフォルムの青柳社長が鼎談されている記事を見つけて、ぜひお目にかかれればと願っていたので、有難いことでした。
記念館サロンに常設展示しているこの作品も、藤飯先生とKさんの素晴らしいコラボレーションの一例です。
昨日は、逆瀬川駅アピアで開催されていた藤飯先生の絵画教室で習っておられた、こちらも紳士のMさん。千種にお住いで散歩の途中にたまたま通りがかったと・・・
サロンでは、うえに紹介したKさんの額縁に目を止められ、てっきりヨーロッパの素晴らしいアンティーク額に藤飯先生が触発されて相応しい絵を描いたものと思ったと、気に入ってくださいました。
というふうに、開館半年、足かけ二年目を迎えて、藤飯治平記念館はこれからも様々なかたがたと出逢い、多くの皆さんに支えられながらその歩みを続けていきたいと思います。
ぜひご来館くださいますよう、お待ちいたしております。
- 2014.01.18
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冬薔薇
こんにちは、Y館長です。
昨日、スーパーゼネコンの一翼を担うS建設のO部長が仁川学院藤飯治平記念館を訪ねてくれました。
O部長には、仁川学院創立50周年記念をした小学校、中学校、総合体育館等の整備事業の設計を担当していただき、それは現在の校舎群(西宮市甲東園)に見事に結実して、仁川学院の教育を施設面、環境面から日々支えてくれています。
以前にこのブログでもご紹介した仁川学院小学校の「聖母マリアのグロッタ」をはじめとして、通学路の「大スロープ」、中庭の神とつながる「宇宙軸」、武道場・温水プール・アリーナを一棟に集約した「総合体育館」、オープン教室を基調とした「小学校」、職員室の壁をなくし廊下をも学びと集いのスペースとして活用した「中学校」等々、挙げればきりがないのですが、それらに献身的に関わってくださり、無謀とも云えるこちらの要求にも終始大人(たいじん)の風格をもって相談に応じていただきました。
この記念館には開設したばかりの夏の盛りにも、学院工事中はO部長の片腕として実務にあたっていただいたN女史ともども訪問してくださったのですが、そのN女史に昨年11月、無事に新たないのちが授かったとお聞きしたこともYには嬉しいことでありました。
昨日は、阪神間と云わず日本人としては忘れてはならぬ「あの日」から19年目を迎える日でもありました。
悲惨とそれに続く苦難、それらを乗り越えてある現在(いま)を想うとき、つなぐべき「新たないのち」誕生の報に接することができたのは、日頃もの思わぬ(?)Yにも、何かしら考えさせられることでありました・・・
さて、前回ご案内さていただいたギャラリー プチフォルムで開催されている「藤飯治平展」を早速拝見してまいりました。
藤飯治平先生の70年代から亡くなる直前まで、その画業を一堂に俯瞰できる作品が取り揃えられており、圧巻でした。
なによりギャラリー・オーナーはじめスタッフの皆さんの藤飯先生に対する敬慕の思いが展示に溢れていて清々しい思いで拝見することができました。
また会場では、この記念館開設にあたって多大のご貢献をいただいた弁護士のT先生にも久方ぶりにお目にかかることができ愉しく有意義なひとときを過ごすことができました。
なお、掲載した藤飯治平展の様子は、当日カメラを忘れた「おとぼけY」に代わってプチフォルム看板スタッフのFさんに撮っていただきました。Fさん、ありがとうございました!
改めて、藤飯治平展のあらましをご案内しておきます。
開催場所 ギャラリー プチ フォルム
大阪市中央区平野町4-6-15
電話 06-6231-2302
※ 最寄り駅は大阪市営地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」13番出口です。
開催期間 1月10日(金)~2月8日(土)※日、祝はお休みです。
午前11時~午後7時(入場は午後6時30分まで)
画廊ホームページ http://www.p8600.com
寒き日に 濃きくれなゐの 薔薇を愛で しばらくにして 昼寝ぬわれは 茂吉
- 2014.01.06
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謹賀新年
あけましておめでとうございます、Y館長です。
皆さまにはそれぞれに豊かな新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
開館二年目を迎える本年も、仁川学院藤飯治平記念館をよろしくお願い致します。
冬季休館として約二週間のお休みをいただいておりましたが、本日より平常通り開館させていただいております。
「館長ブログ」も新年最初の更新となります。相も変わらぬ拙い筆のすさびですが、こちらもよろしくお願い申し上げます、というところで、まずはお知らせを・・・
藤飯治平先生の生前から、先生の画業を二人三脚で支えてこられた大阪の「ギャラリー プチ フォルム」で、仁川学院藤飯治平記念館開館記念として藤飯治平展が開催されます。
学校法人仁川学院が、仁川学院藤飯治平記念館を運営させていただくことにも、ギャラリー プチ フォルムの青柳社長を始めスタッフの皆さんには多大なご尽力をいただきました。
ここにまた、新年早々の開館記念展を開催されることとなり、当記念館としましても、一人でも多くの方々が藤飯先生の作品に触れていただく好機になればと感謝しております。
藤飯治平展の概要はつぎのとおりです。
開催場所 ギャラリー プチ フォルム
大阪市中央区平野町4-6-15
電話 06-6231-2302
※最寄り駅は大阪市営地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」13番出口です。
開催期間 1月10日(金)~2月8日(土)※日、祝はお休みです。
午前11時~午後7時(入場は午後6時30分まで)
画廊ホームページ http://www.p8600.com
新年早々から嬉しいお知らせをお伝えすることができ、幸先の良い一年になると感じております。
今年が皆さまにも幸多い一年となりますようお祈りしつつ、また来週!
- 2013.12.18
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メリー・クリスマス&ハッピー・ニュー・イヤー
こんにちは、Y館長です。
拙い「館長ブログ」も、年内は最後の更新となりました。
まずは、7月の開館以来、ご訪問くださったすべての皆さんと開館に当たりご尽力いただいたすべての方々に、A職員ともども感謝申し上げます。
あっ、(そんな奇特な方はおらんと思いますが)このブログをご愛読くださった皆さんにも深甚なる感謝を捧げます!ありがとうございました!!
まだまだ考えていることからは道半ばの状況ですが、今後ともどうかよろしくお願い致します。
さて、仁川学院藤飯治平記念館の年末・年始の開館予定ですが、すでにトップページでもお知らせさせていただいておりますが、つぎのとおりです。
12月20日は、学院行事のため午後1時に閉館します。
12月21日~1月5日まで、冬季休館です。
1月6日から、通常どおり開館します。
藤飯治平記念館は冬季休館となりますが、この間、仁川学院では、仁川学院父母の会のご協力をいただきながら、学外の皆さまにもご参加いただける恒例行事が開催されます。
12月21日(土)は、「クリスマスの夕べ」、1月4日(土)は「ニューイヤーコンサート」
いずれも回を重ねるごとに楽しみにされる地域の方々も多く、お運びいただければ藤飯治平先生が17年の長きにわたって教鞭を取ってくださった「仁川学院」をよりご理解いただく機会となることと思います。
詳細は、当記念館(電話0797-71-0355)または仁川学院事務局(電話 0798-52-0551)までお問い合わせください。
「来るべき年」もこの仁川学院藤飯治平記念館から、多くの素敵な出逢いが生まれることを願いつつここ野上から
メリー・クリスマス&ハッピー・ニュー・イヤー
来年は甲午(きのえうま)だそうですが、ご来館くださった方はお気づきだったでしょうか、記念館玄関で最初にお客様をお迎えするのが藤飯邸の庭に残されていたこの「埴輪の馬」・・・番犬ならぬ番馬?
どうぞそれぞれに良い年をお迎えください。
- 2013.12.13
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ステンドグラスとロザリオ
こんにちは、Y館長です。
師走も押し詰まって、主の降誕も間近となりましたが、このところの寒波も半端ないですね。それでもこの冷え込みが平年並みとか・・・そう、昔はもっと寒かったなぁ・・・
仁川学院藤飯治平記念館の玄関扉脇に、一枚の小さなステンドグラスがはめ込まれています。
Yは、これを初めて見たときから気になっていたのですが、同じような技法のステンドグラスを仁川学院内で目にすることができるのです。
仁川学院コルベ講堂の、正面入口の両脇に設えられたステンドグラス・・・
このコルベ講堂のステンドグラスは、ステンドグラス・アーティストとして著名な三浦啓子さんの作品です。
三浦先生は西宮市にアトリエを構えられてオリジナルの技法による壮大な作品を多くの建築物に提供されている環境アーティストでもあります。
その主だったところだけでも、サントリーホール、六本木ヒルズ、松下IMPビル、同志社大学、大手前女子大学、兵庫医科大学、東京国立博物館、神戸元町一番街アーチ、中山寺・・・と、とても書き切れないのですが、Yとしてはぜひ自慢?したいのがこちら!
仁川学院小学校内「聖母マリアのグロッタ」にある、ロザリオの祈りの神秘を建物全周に配した三浦先生の素晴らしい作品です。
ここに掲載したのは、お告げから奉献の部分ですが、このような形ですべてのシーンがグロッタ内を取り巻いています。
グロッタとはイタリア語で「洞窟」の意、学院創立50周年記念事業として仁川学院小学校舎を建て替えた際に、新たに設けました。
「無原罪の御宿り」と呼ばれる聖母マリアの恵みを、仁川学院に学ぶ児童が自然にこころの中に呼び込むことができるような、ある意味で仁川学院教育を表象する場所です。
このグロッタ、単なる箱型の建物ではなく、そうですね、丁度、卵を半分地下に埋めたような形を想像していただくのがわかりやすいでしょうか・・・
おまけに、地上に出ている上半分は芝の植えられた土で覆われ、外から見れば築山としか思えません。もちろん児童たちが自由に登って遊べます。
その内部の全周に設けた欄間(ちょっと呼称が和式すぎますがYにはそう表現する以外思いつかないものですから)に嵌められた三浦先生の「ロザリオの祈り」・・・そのすべては外部からの自然光(太陽光)だけで室内に浮かび上がるよう施工上の工夫がされています。
当時、担当者として建設に関わったYには、いっそう思い出の深い場所で、打ち合わせのために何度も三浦先生とお目にかかり、西宮市目神山のスタジオ(工房)で制作現場を拝見しと、当時の苦労や喜びともども昨日のことのようによみがえらせることができます・・・
といつもながらの感慨に耽るのはここまで。やっと冒頭の藤飯治平記念館のステンドグラスのお話ですが、これって、やっぱり三浦啓子さんのステンドグラスですよね?
ガラスの色合い、厚み、割り方、そして何より表現された花の優しさ・・・
先生のオリジナル技法の特徴であるガラスの接なぎ等々・・・
この記念館は、藤飯治平先生がこの地の古家を購入されて住まわれたとお聞きしています。もちろん先生ご夫妻が住まわれるにあたってリフォームや、アトリエの増築はされたのですが、さて、この玄関はどうだったのでしょうか?
藤飯先生と三浦先生とご親交があったのか、或いは前住者の方が三浦先生とご交流をお持ちだったのか・・
三浦先生とお目にかかる機会があれば、ぜひお尋ねしたいことですね。
さて、そのグロッタの主題となっている「ロザリオの祈り」ですが、カトリック教会で聖母マリアの祈り(アヴェ・マリア)を、福音書に記されたイエス様の神秘を想いながら唱えることであり、またその祈りのために用いる数珠のような用具のことでもあります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。
(ちなみに、Yはカトリック幼稚園出身ですが、当時は「 めでたしせいちょうみちみてるマリア」とお祈りしてました。)
これは、カトリック信徒であるA職員が、常に身近に持つロザリオ・・・ちょっと拝借して撮影させていただきました。
カトリック信徒ではないYが持つ仏教の数珠(真言宗の主珠108,親珠2、四天珠4ですが、ここらあたりお宗旨でいろいろ違いがあるそうですが))と、よく似ています。
数珠の親珠にあたる部分にはおメダイ、房と弟子珠にあたる部分には十字架のキリスト。
ロザリオと数珠・・・どこかで歴史の不思議な縁の重なる部分があるのかもしれませんね。
というところで、また来週!
あっ、来週はもう本年最後のご挨拶かも・・・風邪など召しませんよう、ご自愛のほど・・・
- 2013.12.04
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藤飯治平のフィレンツェ
こんにちは、Y館長です。
この週末には、仁川学院高等学校2年生がイタリア研修旅行に旅立ちます。
その様子は仁川学院高等学校ブログで日々伝えられることでしょうから、興味を持たれたかたはぜひ学校のブログを訪れてみてください。
先週からのイタリア・シリーズ(いつの間に?)第2回は、「藤飯治平のフィレンツェ」
藤飯治平先生は、2005年3月末から4月にかけて、ごく親しい人たちと一緒にフィレンツェを旅されました。
この旅が、藤飯先生の最後の海外旅行(帰国後の6月に急逝されます)、気のおけない人たちとの懐かしいフィレンツェは、さぞや感慨の深かった旅であったろうと思われます。
そんな藤飯先生のアルバムから・・・
藤飯先生の大好きな場所だったでしょうか・・・・
なにか、もうYには懐かしい場所にさえ感じられる花屋さんの店先・・・・
下の写真の女性の笑顔が素敵で、恰もソフィア・ローレンとマストロヤンニの如く・・・
こころから愉しんでおられる藤飯先生が想像されます・・・
ここからは、まけじとYの、我が想い出のフィレンツェ!
あいかわらずひとりよがりな風景の数々、でも本当に素敵な街でした。
写真はありませんが、S名誉学院長のはからいでサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会礼拝堂の夜のミサに参加させていただいたりと、思い出はつきません・・・
あぁ、また行きたいなぁ・・・とつぶやいておこう、どこかで誰かが願いを聞き入れてくれるかもしれません、よねっ。
というところで、イタリア・シリーズはこれにてfine・・・
記念館もすっかりクリスマス・ムードに包まれています。
門扉脇の外壁に飾られた豪華リース!
仁川学院中学校、T職員渾身のハンドメイドです。Tさん、ほんとにありがとう!
こちらはA職員の心尽くし・・・
今年も残り僅か、「風邪ひくなよ」、「風呂入れよ」、「宿題終わったか」、「歯磨いたか」、では「また来週!!」