野上日記

野上から

もうすぐ師走、クリスマス

こんにちは、Y館長です。

 

来週からはもう12月、師走ですね。今年の待降節第一主日は12月1日の日曜日、この日からカトリック教会ではクリスマスの準備が始まります。
 
昨日は京都・南座のまねきも上ったとニュースが報じていました。慌ただしくも賑やかな歳末風景のはじまり・・・舞妓はんが石畳を行き交う事始めの華やかな風情もまもなくでしょう。
 
仁川学院高等学校のイタリア研修旅行(2年生の所謂修学旅行)も、もうすぐ出発です。
 
Yには、いまから6年前、そのイタリア研修旅行の催行が可能かを探る調査のためS名誉学院長(当時は学院長)、K副校長(当時は広報室長)とともに、いまの研修コースの元となっている各地を中心に巡ったことが思い返されて感慨深いものがあります。
その三年後からスタートしたイタリア研修旅行も今年は4期を迎えるわけですが、神様のご加護の下で無事に実り多く終えられることを願わずにはいられません・・・
 
以前にもこのブログで、その調査旅行の際のサンピエトロ大聖堂の写真をお目にかけたことがありましたが、こたびもちょびっとYの個人的なセンチメントにお付き合いいただいて・・・
 
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夜露に濡れた早朝のサンピエトロ広場・・・先の方に小さく見えるのがS名誉学院長とK副校長・・・
 
 
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生徒たちのローマでの宿泊場所となるカトリックのシスターたちがお世話をしてくれる宿泊所の、その入口で迎えてくれる「馬小屋」です。
ほぼ等身大と云っていい立派なもの。
Yが訪れた時はまだ準備中で、イルミネーションに灯りも入っていませんでしたが、今年の生徒たちが訪れるときにはさぞかし暖かい光で満ちていることでしょう・・・
 
 
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聖フランシスコにとって最も大切な場所のひとつであるリヴォトルト教会。内にある聖なるあばら屋は当時は修理中で見ることができなかったのですが、「馬小屋」は飾り付けの最中を見ることが出来ました。
 
聖フランシスコとその弟子たちは、13世紀初頭に教皇から会則の認可を得てローマから戻るのですが、戻って最初に住んだのがリヴォトルトのあばら屋でした。そのあばら屋を保存するために作られた教会です。
ただ、アシジの城外を外れた郊外となるので、研修旅行では訪れないのかな・・
訪問先に入ってる(と思うのですが)同じく城外ですが新市街の中心に聳えるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の内に保存されているポルツィウンコラ礼拝堂と並ぶ聖地です。
 
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リヴォトルトとは「曲がりくねった川」という意味だそうですが、この小さな川がそうでしょうか、教会前からかなたにアシジの街が望めます。
と、研修旅行を意識した解説(?)はこれまで・・・・あとはYのへそ曲がり紀行でも・・・
 
 
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これ、イタリアで出稼ぎに精出すキティーちゃん! 
 
いやぁ、日本の観光地でも見掛けないことはないキティー・グッズですが、ここペルージャの目抜き通りでも、ショーウィンドウを独占! 
 
 
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フィレンツェでの宿泊はアルノ川に面したホテルでしたが、そのアルノ川の岸辺にテントを張って行商をするロマ(以前はジプシーと呼ばれていた)の人々の光景・・・商っているものは、装身具や袋物やと思うのですが、なんかようわかりませんでした・・・
 
 
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そのホテルの近所をまだ明けやらぬ黎明に散歩したところ。新聞スタンドだけが開いていて、このあと覗いてみましたがもちろん日本の新聞などあるはずもなく・・・Yにはとんと用事がありませんでした・・・店主のおじさんは忙しく動きながら何やら声を掛けてくれるのですが、こっちは「チャオ、チャオ」一辺倒、情けなぁ~
 
 
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同じくフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(通称フィレンツェのドゥオーモ)美術館にある、もうひとつのミケランジェロのピエタ・・・もうひとつはどこにあるか、皆さんご存知ですよね、特にこれから出掛ける生徒諸君は・・・
 
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こちらは作品を遮るガラスケースもなく、そうとなれば見えないところを見たいもの・・・どうしても背中が気になって裏に廻ったわけですが・・・
 
突然、何かが作動したようないやあな予感に襲われて、ふと頭上を見上げると、壁の隅に裏には廻り込むなといった警告が・・・
 
というわけで、これを見学する際は、心ある生徒諸君は決して裏を見ようなぞとは考えないように・・・ホンマ
と、こう書いて思い出しました! そうそう、単に後ろに廻っただけでなくその背中を撫でてみようとピエタを取り巻く黒い鉄枠の内側に手を差し伸べた途端に警報が鳴ったのでした・・・ゴメンナサイ
 
 
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ローマはスペイン広場のジェラート屋さんのデコレーション、めいっぱい派手でした・・・となりには真っ白なランボルギーニが路駐していて、その車とはまったく関係なさそな「ちょい悪おやじ」風が、Yの耳元で「これは高いんやで」と、どういうわけか英語で囁いてくれました・・・何やったんやろ?
 
 
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特に意味は無いのですが、抜けるような青空と壁の色が「あぁ、イタリアやなぁ」と思いながらシャッターを切りました。
いま、見返してみると、結構、藤飯治平先生のイメージと重なったりして・・・まぁ、単なる自己満足ですが。
 
というところで、また来週・・・
 
最後に、ここ仁川学院藤飯治平記念館の「馬小屋」をご披露しましょう、A職員の心尽くしです。
 
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冬到来

こんにちは、Y館長です。

 

めっきり寒くなりました。
 
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Yの通勤スタイルも、コートにマフラー、手袋というフル装備。
 
退勤時などは、それでも背を竦めて、ブルブルっと身震いする体たらく・・・
 
けど繁華な場所では、Tシャツ一枚の猛者を見掛けたりもしますが、あれはやせ我慢? それともほんまに寒くはないのかしら?
 
そんな季節の移ろいは、藤飯治平記念館での時間の経過でもあります。梅雨も開けたばかりの開館以来、まもなく半年を迎えさせていただきます。
 
この間、多くの(あっ、これは「偽装」ですね、まだまだYの努力不足で多くの!と胸を張れるほどでは、まったくありませんでした。すんません・・・)お客様がご訪問くださり、様々なお声を聞かせてくださいました。
 
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それらを励みに胸中に秘めた(?!)次のステップにも果敢に挑戦しなければ・・・
 
 
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先日、サロンに展示する作品について、一部の展示替えを行いました。
 
また、アトリエでは藤飯治平先生の取材旅行時の写生帳(スケッチブック)の整理を始めました。まだまだ大半が未整理状態ですが、お声を掛けていただければ、ありのままをご覧いただくことも可能です。
 
 
そうそう、これまで藤飯治平記念館のご利用方法について、ちゃんとお伝えしたことがなかったような・・・
 
基本的には月曜日から土曜日までの午前10時から午後4時(入館は午後3時30分まで)まで開館しています。
 
日曜日及び祝日はお休みです。夏休み、冬休み等の特別休館についてはその都度、ホームページでご案内しています。
 
もちろん【 無 料 】で入館いただけます。
 
入館可能時間帯は、門扉を開放していますので、そのままお入りください。
 
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まっすぐ庭石伝いに進んでいただくと玄関です。
 
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こちらで履物を脱いで、奥の下足箱のスリッパをご利用ください。
 
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右手が「サロン・受付」の扉です。夏場は常時開放していたのですが、さすがにそれでは寒い!ということで、取り敢えず閉まっていますので、構わずに開けてお入りください。
そこで一声お掛けいただければご案内させていただきます。
 
 
館内ではごく簡単な飲み物メニューもご用意しておりますので、お気軽にお申し付けください。

 
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来月はもうクリスマス・・・館内でもそろそろクリスマス準備が始まります。そんなお噂は次回ブログでご紹介させていただこうかな、というところでまた来週・・・
 
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ジャンヌ・モローとお千代ちゃん

こんにちは、Y館長です。

 
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フランスの女優・歌手であるジャンヌ・モローのLPレコードです。
ジャケットの記載によれば、‘64年のフランスレコード大賞を受賞したアルバムだとか・・・
 
ジャンヌ・モローと聞けば、Yには、たちどころにモーリス・ロネと共演した「死刑台のエレベーター」でのフロランス役を思い出します。
 
米国のジャズ・トランペッター、マイルス・デイヴィスがラッシュ・フィルム(撮影されたフィルムを現像したままの未編集フィルム)を見ながら即興で演奏したというトランペットをバックに、夜のシャンゼリゼを彷徨うフロランス・・・・
 
出演者の誰もがクールに抑えた演技で、モノクロームの美しさが際立つ素晴らしい映画でした。そうそう、脇役のシェリエ警部役のリノ・ヴァンチェラもよかったなぁ~
モーリス・ロネもYお気に入りの男優です。ドロンと共演した「太陽がいっぱい」、これもタイトルを聞くだけであのテーマ曲のイントロが頭のなかで蘇ります。あとは、「鬼火」とか・・・
 
実はこのレコード、藤飯治平記念館を仁川学院が引き継いだ際に、ただ一枚、アトリエに残されていたLPレコードなのです。
国内盤(海外のレコードを、版権を取得した日本のレコード会社が国内向けに制作した盤)ではなく、フランスで制作されたオリジナル盤で、ジャケットの裏には105フランの値札が貼らています。
 
藤飯先生がパリ大学美術考古学研究所に留学されたのが‘67年ですから、おそらく藤飯先生が、パリで買い求められたものでしょうか、そう想像すれば、単なるジャンヌ・モローのレコードという以上の感興が湧いてきて、ぜひ聴いてみたいとの思いが募りますね。
 
 
 

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さてこちら、先日、亡くなられた昭和を代表する国民的な歌謡歌手である島倉千代子さんのLPレコード。
さきほどのモローのレコードは直径30センチの所謂12インチ盤。こちらは直径25センチの10インチ盤で、‘58年の発売です。デビュー曲である「この世の花」を筆頭に8曲が収録されたアルバム。
 
これは藤飯治平先生とはなんの所縁(ゆかり)もなく、歌謡曲好きのYが大切に持っている一枚。島倉千代子さんが亡くなられたあと、S官房長官が「実は大ファンで・・・」と記者会見で追悼したそうですが、Yにとっても、実は(ともったいぶるほどのことはないのですが)、テレビ画面を通してさえまったく天真爛漫な人柄と思える雰囲気が伝わってきて、大好きな歌い手さんの一人でありました。
 

嗚呼、また昭和は遠くなりにけるかも・・・ありゃ! LPレコードつながりということで、ちょっとY流に感慨にふけってしまいました。
 
藤飯治平記念館では、サロンのBGM替わりとして、NHK―FM放送を、学院から持ち込んだCDラジカセで流しているのですが、アトリエにレコードを聴く環境が整えられれば、何かできそうかな、などと考えていますが、さて・・・
 

 
今日の一輪はこちら・・・藤飯治平記念館敷地の側溝脇にそっと咲いていた、モローやお千代ちゃんを偲ばせる可憐な花をA職員が摘んできてくれました。
 
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聖衣

こんにちは、Y館長です。

 

これは、仁川学院高等学校の玄関エントランスです。
 
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正面の壁面には130号の大きな絵画「聖衣-宙(そら)-」が掛けられています。
 
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学院創立50周年記念学院施設整備事業の竣工を機に、稲垣直樹画伯から寄贈された大作です。
 
その作者である稲垣画伯が、先週、仁川学院藤飯治平記念館を訪ねてくださいました。
 
稲垣先生は、現在、大阪を拠点に幅広く活躍をされていますが、十数年前のイタリア留学中にアッシジの聖フランシスコ大聖堂で出会った一枚の修道服(800年前、聖フランシスコが実際にその身に纏っていた粗末な衣)から大きな啓示を受け、以来、その聖衣を自らのもっとも大切なテーマとして旺盛に創作活動を続けておられます。
 
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毎日、仁川学院高等学校の生徒を出迎える冒頭の絵画も、もちろんアッシジの聖フランシスコをテーマに描き上げられた、Yには稲垣先生のもっとも稲垣先生らしい一枚と思えます。
 
稲垣先生はご自身の創作活動と併せて、美術研究所を主宰されるとともにNHK文化センターでの講師活動や様々な講演活動にも取り組まれているのですが、稲垣先生のお人柄ともども、Yには藤飯治平先生とオーバーラップして、何やら身内のような感覚でお迎えしました。
 
そんな稲垣先生とひととき愉しく懇談させていただき、これからの記念館運営に関して、画家の、或いは絵画の指導者としての立場から、ぜひアドバイスやアイデアをと厚かましいお願いをさせていただくとともに、いろんな方々からのご縁に支えられた記念館のこれからに心強い思いを新たにさせていただきました。
 
そんな多くの方々からいただくエネルギーを、より多くの皆さんと共に感じられる活動を、手探り状態ではありますが、いっときも早くかたちにしようと、ねじり鉢巻に汗かくYでありました・・・
 
稲垣先生の「聖衣-宙-」は、仁川学院高等学校でご覧いただけます。興味を持たれた方はぜひ足をお運びいただき、藤飯先生の3作ともどもご鑑賞ください。
 
 
最後に、野趣あふれる本日の一輪・・・ではまた。
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はらぺこあおむし

こんにちは、Y館長です。

 

「はらぺこあおむし」
 
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エリック=カール著 もり ひさし訳 偕成社; 改訂版より
 

いまや定番となった幼児向けの絵本ですが、さて、いつ頃から世に出てきたものか、Yなどは数年前に孫のクリスマス・プレゼントの品定めに奔走(また大袈裟な!?)する際に、どこの書店の絵本コーナーやデパートの玩具売場でも見掛けることで知ったのですが・・・
 
デパートの玩具売場では大きなぬいぐるみなども展示されていて人気の程が伺われました。
 

Y世代で「あおむし(いもむし)」といえば、それはもうやはり「モスラ」以外には考えられないのですが・・・例の如くの旧いふるい話・・・すんません
 
 
さて何故の「あおむし」かと申せば、これ・・・
 
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A職員が庭の手入れ中に見つけて、そのあまりの食欲の旺盛さにびっくり、思わず捕獲してきたもの。
 

 
ひと晩、サロンに残したままにしたところ、翌朝は、ここで発見!
 
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柱の縁にしがみついておりました。
 
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移動距離はこれだけ(わかりにくいですが、左の椅子の座面から右の柱の上あたりまで)・・・えっちらおっちら餌である葉っぱを求めて登ったのでしょうか。
 
このあと、またA職員の手によって、庭に戻されたことは云うまでもありません。
 
ところでこの「あおむし」、この夏に庭のフェンス下に移植した「琉球アサガオ」(ノアサガオ)の葉に宿っていたのですが、よく観てみると、別のもっとすごい大物も・・・・
 
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大きさは下のボールペンと比べてください! 全長10センチメートルは優に超えています。
まぁ、食欲はすごくて、大きな葉三枚ぐらいは朝メシ前!?
 
フェンスの下には黒々と立派な糞も点々と・・・
 
もう秋も終わろうというこの時期ですから、蛹で越冬するのでしょうか、今朝あたりから食も細くなってるらしいと、A職員のお見立て・・・
 
いましばらく観察してみましょう。と云いつつ、いったい何の幼虫か、ようわからんのですが・・・
 
 

 

ということで、今回は、記念館日常のいたってどうということのないお噂でごきげんを伺いました。ほなっ、サイナラ~、また来週!
 

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目指せ、記念館!

こんにちは、Y館長です。
 

先週、藤飯治平先生が亡くなる直前まで絵を習っておられたKさんとおっしゃる女性が、お友達とふたりで記念館を訪ねてくださいました。
 

例によってあれこれ藤飯先生や奥様にまつわる愉しいお話を伺わせていただいたのですが、ちょうどアトリエで、藤飯先生の写生帳の整理を始めていたときで、そこに残された取材の足跡の一部ををしばしご覧頂いたのですが、たいへん喜んでいただきました。
 
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Yからして、そこに素顔の藤飯治平を間近に見る思いがするのですから、深い縁のあったお弟子さんからすれば、一入の事と想像できます。
 

しっかり整理をして、できるだけ早い機会にご覧いただける体制を調えたいと思います。
 

お話をしていて感じたことがもう一つ。

 
基本的に、一対一の個人レッスンで習っておられたとのことで、それぞれのお弟子さん同士の交流というか、どんなひとが何人ぐらい習っておられたのか、そのあたりのことがなかなかはっきりしません。
 

Kさんはいまでも絵を続けておられるご様子で、この記念館を足掛かりにして、そんなお弟子さんが一同に会する同窓会的にお話を聞かせていただいたり、絵を続けられている方々には、この記念館で共同展のような試みができればという思いを強く持たせていただきました。

 
そんなネットワークが拡げられるよう、様々な情報をお知らせいただければありがたいですね。
 
 

そんなわけで時候もよくなったこの頃、ぜひお気軽にお立ち寄りいただきたいのですが、初めて記念館をお訪ねいただく方には、ちょっと道がわかりにくかったりするかも・・・(Yの知人であるMさんが訪ねてくれた際には、あの真夏の猛暑日の中、道を間違って三十分間も漂流したあげくヘロヘロになって辿り着いたということもありましたので)
 
そこで、今回は懇切丁寧な道案内! さぁ、逆瀬川駅からスタートです。
 
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改札から西出口へと向かいます。
 
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川の向こうに見える宝塚病院を目指します。
 
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宝塚病院前交差点(信号あり)をまっすぐ坂の方に向かって進みます。

 
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この先しばらく・・・坂、キツイです!
足元をしっかり見つめて、この先どこまで?なんてことを考えずに・・・歩きましょう!

 
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さあ、ここまでくればちょっと勾配は緩やかになって、目的地はすぐそこ・・・・ではなくて実はこれからだったりしますが、めげない、めげない・・・

 
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両サイドには様々に個性的な、意を尽くした家構えが並んでいます。それらを鑑賞しながら気を紛らわせていると、あっという間に・・到着するわけではないですが、多少は短く感じられるかも。
ただし、行き交う車にはじゅうぶんご注意ください。

 
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初めての道は遠くても、二度、三度となると案外近く感じられたりするもの。
この路肩にはみ出した立ち木をしっかり覚えて既視感(デジャブ感)を養っておきましょう、ちょっとは近く感じられるかも(?!)

 
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ここを過ぎれば、道路の右側に小さくちいさく(!)、目的の記念館が見えてきます!
そう、あとはほんの少しです。

 
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実はこの坂道、阪急バスの路線バスが運行しています。ただ、逆瀬川駅から記念館を通りすぎて300メートル先までひとつも停留所がありません! 
それでもこの坂道を登るよりは降ったほうが楽は楽でしょうか。その場合は逆瀬川駅バスターミナルから「光が丘北」行き(野上三丁目経由)にご乗車いただき、最初の停留所「野上三丁目」で下車、バス道にそって戻ってください。バス料金は210円です。
 
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ふぅ、着きました!お疲れ様でした! どうぞ、館内でゆっくり疲れを癒してご鑑賞ください。

 
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館内では、今日の一輪も貴方をお待ちしております。
 

※逆瀬川駅からタクシーをご利用頂く場合は、行き先を「野上四丁目、宝会館入り口角の藤飯記念館」とお伝えいただければ大抵わかっていただけます。ワンメーターです。


気になる、画家の◯◯

こんにちは、Y館長です。

 

今日、関東から東北ではいまこのとき(午前11時)も大型台風が猛威を振るっていて、通過域の伊豆大島では甚大な被害も懸念されるとの報道が相次いでいます。
 
台風=自然災害=やむを得ないもの、と云えばそうなのでしょうが、その自然の営みに、私たち人間の無思慮で浅墓な行為の蓄積が影響を及ぼしていないと、さて言い切れるものかどうか・・・
 
ともあれ、いまはこの先の無事を祈るばかりです。
 
 

ここ野上では、空はどんよりとしていますがときおり薄日も差し、ときたま強く吹いていた風も止んだようで、気温は急に肌寒く秋の気配が濃厚です。
 
ようやく逆瀬川駅から続く胸突き八丁(は、ちと大袈裟かな?)の坂道も汗だくになることなく歩けるようになり、時恰も「芸術の秋」!
 

これまでの猛暑に来館を躊躇っておられた皆さんも、もう坂道の途中で行き倒れる心配もなく、これ以上あれこれと言い逃れる術はありませんよっ!
 
ぜひ覚悟を決めて、早々にお越しいただき、ひとときの「アートな時間」を過ごされますよう、Y館長、A職員ともどもこころからお待ちしております!!
 
 
さて、藤飯治平記念館を訪れてくださる方々のうち、ご自身に絵心というか、絵を描かれる方に共通することがあります。
 
それは何かと云いますと、アトリエに足を踏み入れて、まず最初に発する言葉が、
 

「筆を見せてもらっていいですか?」
 
Yにもそのお気持は、なるほどと納得がいきます。
 
絵に限らず、習い事芸事をかじると、先生や師匠の「道具」がとかく気になって、下手な自分の才能腕前は他所に置いといて、同じ道具を持てば一人前になれると、そんな夢を抱くんですね。(あっ、これはもちろんYだけのことですから・・・)
また、腕が上がるに連れて、その「腕」がいい道具を求める、或いは道具が「腕」を後押しするということもこれはあるわけで、しかし、一方では「弘法筆を選ばず」や「下手の道具調べ」ということわざもあったりするわけですが・・・
 
いずれにしても、絵を描かれる方は、隣の芝生ならぬ隣の筆が気になるご様子で、記念館では手にとって気の済むまで(?)自由に御覧頂いています。
 
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画家にとって絵筆は、もう一つの手であると同時に消耗品でもあるわけで、藤飯治平先生も、特別に高価な筆を使われていたということではなく、当たり前のものを当たり前に使われていたということであるようです。
 
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サロンに日が差して、床の影模様も、何やら抽象絵画風の・・・秋
 
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では、今週の花をご覧いただきながら、また来週!
 
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聖フランシスコの祝日に・・・

こんにちは、Y館長です。

 

10月の第一週、学院の行事のために二日間の臨時休館をいただきました。
 

学校法人仁川学院の運営母体は、アッシジの聖フランシスコを師父とするコンベンツァル聖フランシスコ修道会です。
 
そのため仁川学院では、カトリック教会においてアッシジの聖フランシスコの祝日とされる10月4日を創立記念日と定め、毎年、その創立を祝う式典を挙行しています。
 

今年は、カレンダーの都合で10月第一週の週末に開催される仁川学院中学・高等学校の学院祭が10月5日となるため、その準備の都合上、10月3日に創立記念式典が行われました。
 
そこで翌日の4日も、記念館を臨時休館とさせていただき、アッシジの聖フランシスコの祝日当日に、記念館開設にあたって大きなご尽力をいただいた所縁(ゆかり)の方々を記念館にお招きして、ひととき藤飯治平先生を偲ぶ時間を持たせていただきました。
 
懐かしい思い出話や、藤飯先生ご夫妻の愉しいエピソードなど、盛り沢山のお話をお伺いし、名誉学院長、学院長をはじめ学院関係者一同、改めて有意義な時間をいただけたことに感謝しています。
 
その折のお話あれこれは、いずれこのブログでも綴らせていただく機会もあるかと思いますのでどうぞお楽しみに・・・・
 

そのお招きした所縁の方が、藤飯治平先生の大切なものを記念館に託してくださいました。
 
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藤飯治平先生が、最後の入院をされた後の、アトリエの画板に残されていた水彩画・・・
 

その年の春、先生はフィレンツェへ取材旅行をされていて、そのときの印象の一コマでもあったのでしょうか・・・
その旅から帰国して5月に入院されるまでの間に十数点の水彩画を描かれたそうですが、これはその最後の一枚。
そんな経緯からすれば先生の絶筆である可能性が高いのですが、これを見たYは、すぐにサロンに掛かる一枚の油彩の小品を思いました。
 
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(1992年 街頭の八百屋 油彩 3号)

 
こちらは、花屋さんではなく八百屋さんの店先ですが、品定めに佇む女性・・・

 
青い上着と黒いスカート・・・・
 
十数年を経て描かれた、花屋の店先で佇む女性と同じ女性(ひと)?
 
筆を取る画家を過ぎった思いは、はたしてどのような思いであったのでしょうか・・・
 
Yには、この最後の一枚を描かれた時、藤飯治平先生は既にご自身のご病気について、確かなところを十分知っておられたような気がしてなりません。
 
もちろんそれは、Yの感傷に過ぎないのかも知れませんが、画面からはしっかり藤飯治平のたましいの物語が聞こえてくるようで・・・・




ところで、先週の数日間、吹く秋風に任せてアトリエの扉を開け放っていたのですが、気がつくと庭に面した網戸に一匹の蜻蛉が・・・
 
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Yの貧弱な博物知識では、蜻蛉の種類も判然としませんが、透明な羽に凛とした気配を感じて、そっと手のひらで網戸の外に放ってやりました。
 
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蜻蛉は、しばし石畳の上に羽を休めると、秋風にもまれるように空中へと飛び去りました。
 
というところで、また来週!


風の匂い

こんにちは、Y館長です。

 

今朝から、風の匂いがかわりましたね・・・秋の気配をいっぱいに孕んだ風が、ここ野上でも吹き渡っています。
 
サロンもアトリエも、窓を開け放って、気持ちのいい一日のスタートです。
 
オープン以来、まもなく三ヶ月を迎えようとしていますが、開館当初の閑古鳥状態から比べれば、訪問者も徐々に増えてきました。
それでもまだまだちらほら状態ですが、不便な立地にも拘わらず足を運んでくださる皆さんには感謝の気持ちでいっぱいになると同時に、藤飯治平先生の生前のご活躍が偲ばれて、こちらの気持ちもほんのりしてきます。
 
ご近所の方や仁川学院在校生の保護者の方、先生と同窓の方、あるいは通りすがりの方と、様々な方々が訪問されますが、先日は、藤飯夫妻に、この野上のアトリエで絵を習っておられたという女性が訪ねてくれました。ご近所まで来られたので、昔懐かしさに藤飯邸の前まで歩いてみると、記念館の看板が出ていてびっくりしたと仰って・・・
 
お聞きすると、小さい頃は「おんな先生」(藤飯夫人のことをこう呼んでいたのだそうです)に習い、大きくなって「おとこ先生」(もちろん藤飯画伯のことです)に習っていたとか・・・
 
その後、その方はイタリアに留学されて現地のイタリア人と結婚をされたのですが、そのイタリアでの結婚式(たしかパルマと仰ったか、いずれにしても北よりの街とお聞きしたように思うのですが)に藤飯先生ご夫妻をご招待されたそうです。
 
そうすると先生は、「家内と一緒に喜んで出席するよ」と心よく応じてくれたのだとか・・・
もちろん取材旅行も兼ねてのことだったでしょうが、ご夫妻の人柄を表すエピソードとして、Yは愉しくお話を聞かせていただきました。
 
生憎、それが何年の出来事であったのか聞き漏らしたのですが、いまサロンで鑑賞いただけるこの作品などは、そのときの印象から生まれたのかも知れませんね・・・
 
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(フィレンツェの屋根 1992年 油彩 F15号)
 
そんなことを思い巡らせながら眺めていると、こんな不粋なYでもそこはYなりに、何処からか私だけの「物語」が聞こえてきそうです・・・
 
いつどや、夏の名残の蚊遣りなんぞと書きましたが、豈図らんや名残どころか、いまだに現役バリバリで煙を吐いています。
 
これは、玄関先の三和土に置いたものですが、模様はススキでしょうか、いましばらくは助けてもらわなければならないようです。
 
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蚊遣火にやさしき人の面影や  清孝

 
 
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一夏、涼を届けてくれたゴーヤ簾も、この秋風にちょっぴり寂しそう・・・
 
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名月や

こんにちは、Y館長です。

 

今夜は、中秋の名月・・・
 

先の週末、台風18号の影響で各地で雨災害が猛威を振るったあとですから、今宵雨月ではなく、渡月橋にもさやかに皓皓と照る名月であってほしいものとの願いは聞き届けられそうですね・・・よかった

 

昨夜のスーパーマーケットでは、レジ横にも「月見団子」のパッケージがうず高く積まれていました。
 
長楕円形の白玉団子の中央に漉餡の帯が巻かれたお団子です。
 
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Yは紀北は高野山麓で育った田舎者ですが、実は大阪に出てくるまでこのようなお団子をまったく知りませんでした。
 

田舎でもお月見には、縁側に近所の草っパラから刈ってきた尾花と母手作りのお団子を供えたものですが、お団子はただの白玉団子で、お下がりをいただくときにきな粉をまぶしたりしたものでした。
 

ですから、いまだにあの舌を出してアカンベエをしたような(?)というか、どこかローリング・ストーンズのレコード・ジャケットを思わせる(私だけですか?)月見団子にはいまひとつ馴染めないのですが、菓子舗で聞くところによると、月に叢雲を表したものだとか・・・・
 

まぁ、ひとの感性は様々でありますねぇ・・・・お雑煮に餡ころ餅を入れる地方もあるそうですから・・・

 
 
ともあれ、Yなんぞは、月や風にそよぐ尾花の風情あるいは団子の美味しさもさることながら
 
 

名月や美人の顔の片あかり 子規
 
 
いえいえ、詮索は御無用、単なるイマジネーションの世界ですから・・・・
 
 
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月つながりということで、ローマはヴァチカン・サンピエトロ大聖堂にかかる月・・・・
中秋ではなく冬の月ですが、6年前の出張時、早朝にヴァチカンを訪問した際に思わずシャッターを押しました。
 
あと少しで、今年も高校二年生がイタリア研修旅行に出発します。ローマ、フィレンツェ、アシジと、刈り入れの時期に相応しい豊穣の旅でありますよう・・・・
 

と、久方ぶりにこの写真を眺めながら、Yにはまた思い出したことがあります・・・
 

あの日ローマでながめた月が
きょうは都の空照らす
四年たったらまた会いましょうと
固い約束夢じゃない
 

64年東京オリンピックのテーマソングとしてリリースされた「東京五輪音頭」です。三波春夫はじめ多数の歌手が競作をした、まさに国民歌謡の代表曲。さて2020TOKYOではどのようなメロディーが巷を席巻するのでしょうか・・・願わくば老体にも判然たるメロディーやリズムであって欲しいなぁ
 
あれ? ところで野上の話題は?
 
はい! これです!
 
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若かりし頃の藤飯ご夫妻・・・
 
ほらっ、奥さんは月美さん、つきみ・・月見・・・・・・
 
失礼しました、また来週!
 
あっ、その前に今日の一輪
 
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