野上日記
2013年8月
- 2013.08.26
- |カテゴリー:野上から
新学期と、夏の名残・・・
こんにちは、Y館長です。
日々の通勤には阪急電車を利用するYですが、今日から最寄り駅である「甲東園駅」に普段の賑やかさが帰ってきました。
仁川学院中学高等学校の第二学期が今日から始まったのです。
甲東園駅を最寄り駅とする学校は私学だけでも、仁川学院小学校・中学高等学校、関西学院中学高等部、報徳学園中学高等学校とあります。今朝の甲東園駅には仁川学院と報徳学園の生徒たちの姿がありました。
通学時間のピークである午前八時前後は、ホームも大変混み合いますが、Yくらいの歳になりますと、フレッシュというか、これからのいぶきを感じさせる若い命に囲まれていることが妙に嬉しく感じられたりする瞬間があったりします。
それでも、それ以外の大方の一般利用者の視点に立てば、さぞや、はた迷惑なことでもあるのでしょうが、次代を支える若いいぶきに免じて寛容の気持ちで応援をと願いつつ、教育という観点からは、若い彼ら彼女らに、しっかりと公衆道徳(学校でも、家庭でも決して死語にしてはいけない言葉です)を身につける教育をと学校関係者の立場から自戒せねばなりません。
ともあれ、来週からは仁川学院小学校をはじめすべての学校で新たな時間が始動することでしょう、学校カレンダーでは最も行事の多い季節の始まりです。
やっぱり、教室に校庭にグランドに、若い歓声が溢れてこその「学校」ですね。
学校に子どもたちの歓声が帰ってくると夏も終わり・・・・
ここ野上では、昨日、一昨日の久方ぶりの雨で、庭の緑も心もち鮮やかに蘇ったような・・・
開館以来初めての夏でしたが、その夏を快適に過ごすためにもっとも活躍してくれたものは、何でしょう?
エアコン? いいえ、エアコンではなく、実はこれです。
えっ?何やわからん? Yも始めてみたときは、何やわかりませんでした。
これをみてください。
藤飯治平先生のバベルの塔をモチーフにした大作です。
そう、この先生が大切にされていたモチーフを、焼き物を嗜んでおられた先生の奥さん(月美さん)が作品に表現されたもの。
じつは、これ、「蚊遣り」・・・ぶたの格好で作られていたりする、蚊取り線香立て・・・あれだったのです。
開館中は玄関扉は開放しています。もちろん閉めていてもいいのですが、普通の住宅ですから、玄関を閉めてしまうと、ちょっと拒絶感があって、ご来館いただく皆さんには入りづらいかなと思うものですから・・・
そのため、ここ藤飯治平記念館での夏の風物詩ともいうべき「蚊」も入り放題・・・
おそらく、先生は夏でも縁側を開放して庭の木々を眺めたりという自然を感じる生活をされてたのかなと、想像しています。
何しろ、奥さんが残された作品の中に立派な蚊遣りが数点あり、どれも使い込まれた様子が伺われます。
そこで、藤飯治平記念館としても、夏の蚊対策には、殺虫剤や電気蚊取り器などと云う不粋なものではなく、「日本の夏」定番の蚊取り線香のお世話になることとし、この夏中、バベルの蚊遣りが活躍してくれたわけ・・・
じつは、Yには、なんとも「虫(蚊)に好かれる」こと人後に落ちないと云う特技(?)があります。まったく蚊とは無縁に思えるシチュエーションであっても、しっかり二、三箇所刺されていたなどは茶飯のことでありまして、この蚊遣りには大いに助けられました。
蚊取り線香(この頃は昔ながらの蚊取り線香ではなくアロマのごときフレグランス付きのものがあったりするんですね)も三十巻入り一箱を使いきりましたが、蚊遣りはしばらくこのままサロンの隅に置いて、ゆく夏の名残を惜しむこととしましょうか・・・
- 2013.08.21
- |カテゴリー:野上から
それぞれの夏
こんにちは、Y館長です。
ここしばらく夏季特別休館とさせていただいておりましたが、昨日から、平常どおり開館しております。
それにしても残暑厳しく・・・という言葉も聴き飽きた、言い飽きた感が先にくる連日の猛暑日、みなさまにはどのような「夏」をお過ごしでしょうか。
「日本の夏」から思い浮かぶもの・・・
それぞれの世代や環境や境遇でそれぞれの数の「わたしだけの日本の夏」があることでしょう。
夏休み、夏祭り、花火、高校野球、キャンプ、合宿、帰省、お盆、旅立ち、出会い、別れ、簾、西瓜、浴衣、水着、麦わら帽子、蝉、朝顔、夕立、そして、忘れてはならない「鎮魂の夏」・・・
仁川学院藤飯治平記念館の「主人」である藤飯治平先生は、画家と教師という二足のわらじを履いておられました。
そのためもあってでしょうか、学校の夏休みの期間等を利用して、取材のための旅行に出ることが多かったようです。
記念館には、そんな藤飯治平先生の取材旅行の証ともいうべきスケッチ・ブックがたくさん残されています。
内容を整理したうえで、みなさまにも鑑賞いただける機会をできるだけ早く整えたいと考えています。
わたくしごとですが、この夏季休館の間を利用させていただき、東京に暮らす孫たち(小学二年生を頭に四人!)に爺の存在を知らしめに上京してまいりました。と偉そうに書いてますが、なんのことはない、通い妻ならぬ通い爺・・・権威もなにもあったもんではなく、単なる「お小遣い配達人」でして・・・そんなトホホな、キンチョーの夏、んっ?もとい、カンチョーの夏でした。いやぁ、美空ひばりが懐かしい・・・
- 2013.08.07
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小さな花
こんにちは、Y館長です。
藤飯治平記念館はわたしYと、もうひとり、A職員とで切り盛りをしています。
というより、YがA職員の足を引っ張りながらなんとかこなしているといったほうがいいのかも・・・
ふたりで「記念館の運営」なんぞと大上段に振りかぶるより、ささやかなお堂の堂守といった感じでお世話をさせていただいてます。
堂守の小草ながめつ夏の月 蕪村
A職員のおかげで、記念館内はまことに居心地の良い空間に設えられています。
その一つが、記念館のあちこちにさりげなく飾られた「小さな花」・・・
門扉からのアプローチは云うに及ばず、玄関、サロン、アトリエと細やかな心配りで毎日用意してくれています。
決して高価な花々ではなくて、学院の隅にひそやかに咲いている花であったり、記念館の庭に咲く薔薇や野菜の切れ端から覗く若芽であったり・・・
ところで、「小さな花」という言葉で、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか?
昭和二十年台生まれでジャズ好きのYが思い浮かべるのは、シドニー・べシェというクラリネット奏者(というよりジャズにソプラノ・サックスの音を持ち込んだイノベーターといったほうがいいかも)が作曲し、自身のバンドでブルーノートという当時のマイナー・レコードに吹き込んだ「小さな花」・・・これは、のちに日本でも題名を変えて大ヒットします。
そう、ザ・ピーナッツの「可愛い花」がそれです。フランス語歌詞の原題である「プティット・フルール」のリフレインを懐かしく思い出します・・・えっ、歳やなあって・・・・スンマセン
もうひとつ、ぜひ知っていただきたい「小さな花」があります。
それは「聖フランシスコの小さな花」・・・イタリア語では「Fioretti di San Francesco」・・・
聖フランシスコの死後、おそらく百数十年後に書かれた伝記です。カトリック教会の正式な教典や原典ではありませんが、聖フランシスコの敬虔な信仰を、ひろく一般の人々に知らしめるうえで、大きな功績があった伝記です。
映画「ブラザー・サン、シスター・ムーン」の原作でもあります。仁川学院の母胎であるコンベンツァル聖フランシスコ修道会の聖母の騎士社から日本語訳も出版されています。
少しでも興味を覚えていただければ、ぜひ手にとってみてください。学院の理念である「和と善」の精神をより深く感得していただくことができると思います。
ところで、仁川学院藤飯治平記念館は、トップページでもお知らせしたとおり、8月9日(金)から8月19日(月)まで、夏季特別休館とさせていただきます。
今日も、ここ野上では猛暑が・・・
ぜひご自愛いただき、みなさまそれぞれに「よい夏」を過ごされますよう・・・・
- 2013.08.05
- |カテゴリー:野上から
蝉の受難
こんにちは、Y館長です。
仁川学院藤飯治平記念館は、藤飯治平先生が自宅・アトリエとして居住されていた住宅をそのまま利用しています。
もちろん内部は記念館として体裁を調えるため最小限の改装は行いましたが、アトリエ等は可能な限り藤飯治平先生が使われていた当時の雰囲気を損なわないように手を入れました。
門扉から記念館玄関まで、10メートルほどの石畳のアプローチがあります。その両横は植え込みとなっているのですが、オープン早々にその土の地面に点々と直径2センチほどの穴が開いてることに気が付きました。
なおよく観てみますと、茶色く干からびた蝉の抜け殻が、これも地面に点在しています。
あれっ?蝉は土の地面で脱皮をするのかと、訝しく思いつつハタとあることに思い当たりました。
それは、藤飯治平邸を仁川学院が引き継いだのが昨年のこと。藤飯治平先生がお亡くなりになられてからの七年間、この庭は自然のままに置かれていて、仁川学院が引き継いだ時点では、些か鬱蒼とした森状態であったのです。
夏にはさぞかし蝉たちの憩いの場所であったろうと想像されるのですが、そこに昨年、植木屋さんの手が入り、鬱蒼と茂る木々は剪定され、現在の明るい開放的な庭園に生まれ変わりました。
ご存知のとおり、蝉はその幼虫時代を産卵した木々の周りの地中で過ごします。短い蝉で三年、長い蝉ですと十年近くも地中で暮らすらしいのですが、さて、今夏・・・その地中での年季が明けて、勇躍脱皮のために地上に出てみると・・・あに図らんや登って羽化するための木々の幹がありません!
藤飯治平記念館として庭園を整備することが、地中の蝉たちにはこれ以上ない「環境破壊」であったというわけで、昆虫界のみならず人間界においても似たような話があったりするわけですが、何にしましてもこういう場合、被害者側にはなんの責任もないことで・・・・
幹を見つけられなかった蝉たちは、仕方なく、蟻や蜂の外敵に慄きながらも地面での脱皮に挑んだのでしょう、そんな彼らの跡を眺めて、少しほっとするのは、成虫の死骸がまったく見当たらないこと・・・
兎にも角にも「受難」ともいうべき困難な状況下で順調に羽化を終え、残り少ない生を全うできる環境を求めて旅立った蝉たちに拍手を・・・
けれども、これからの数年、藤飯治平記念館の夏の庭先で、同じ事が繰り返されるわけでしょうね、地下の幼虫にはいっそう逞しく育って欲しいものです・・・
というわけで、そんな蝉たちのささやかな物語を確かめるためにも、ぜひご来館くださいますようお願いします。
- 2013.08.01
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