野上日記

2013年9月

風の匂い

こんにちは、Y館長です。

 

今朝から、風の匂いがかわりましたね・・・秋の気配をいっぱいに孕んだ風が、ここ野上でも吹き渡っています。
 
サロンもアトリエも、窓を開け放って、気持ちのいい一日のスタートです。
 
オープン以来、まもなく三ヶ月を迎えようとしていますが、開館当初の閑古鳥状態から比べれば、訪問者も徐々に増えてきました。
それでもまだまだちらほら状態ですが、不便な立地にも拘わらず足を運んでくださる皆さんには感謝の気持ちでいっぱいになると同時に、藤飯治平先生の生前のご活躍が偲ばれて、こちらの気持ちもほんのりしてきます。
 
ご近所の方や仁川学院在校生の保護者の方、先生と同窓の方、あるいは通りすがりの方と、様々な方々が訪問されますが、先日は、藤飯夫妻に、この野上のアトリエで絵を習っておられたという女性が訪ねてくれました。ご近所まで来られたので、昔懐かしさに藤飯邸の前まで歩いてみると、記念館の看板が出ていてびっくりしたと仰って・・・
 
お聞きすると、小さい頃は「おんな先生」(藤飯夫人のことをこう呼んでいたのだそうです)に習い、大きくなって「おとこ先生」(もちろん藤飯画伯のことです)に習っていたとか・・・
 
その後、その方はイタリアに留学されて現地のイタリア人と結婚をされたのですが、そのイタリアでの結婚式(たしかパルマと仰ったか、いずれにしても北よりの街とお聞きしたように思うのですが)に藤飯先生ご夫妻をご招待されたそうです。
 
そうすると先生は、「家内と一緒に喜んで出席するよ」と心よく応じてくれたのだとか・・・
もちろん取材旅行も兼ねてのことだったでしょうが、ご夫妻の人柄を表すエピソードとして、Yは愉しくお話を聞かせていただきました。
 
生憎、それが何年の出来事であったのか聞き漏らしたのですが、いまサロンで鑑賞いただけるこの作品などは、そのときの印象から生まれたのかも知れませんね・・・
 
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(フィレンツェの屋根 1992年 油彩 F15号)
 
そんなことを思い巡らせながら眺めていると、こんな不粋なYでもそこはYなりに、何処からか私だけの「物語」が聞こえてきそうです・・・
 
いつどや、夏の名残の蚊遣りなんぞと書きましたが、豈図らんや名残どころか、いまだに現役バリバリで煙を吐いています。
 
これは、玄関先の三和土に置いたものですが、模様はススキでしょうか、いましばらくは助けてもらわなければならないようです。
 
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蚊遣火にやさしき人の面影や  清孝

 
 
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一夏、涼を届けてくれたゴーヤ簾も、この秋風にちょっぴり寂しそう・・・
 
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名月や

こんにちは、Y館長です。

 

今夜は、中秋の名月・・・
 

先の週末、台風18号の影響で各地で雨災害が猛威を振るったあとですから、今宵雨月ではなく、渡月橋にもさやかに皓皓と照る名月であってほしいものとの願いは聞き届けられそうですね・・・よかった

 

昨夜のスーパーマーケットでは、レジ横にも「月見団子」のパッケージがうず高く積まれていました。
 
長楕円形の白玉団子の中央に漉餡の帯が巻かれたお団子です。
 
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Yは紀北は高野山麓で育った田舎者ですが、実は大阪に出てくるまでこのようなお団子をまったく知りませんでした。
 

田舎でもお月見には、縁側に近所の草っパラから刈ってきた尾花と母手作りのお団子を供えたものですが、お団子はただの白玉団子で、お下がりをいただくときにきな粉をまぶしたりしたものでした。
 

ですから、いまだにあの舌を出してアカンベエをしたような(?)というか、どこかローリング・ストーンズのレコード・ジャケットを思わせる(私だけですか?)月見団子にはいまひとつ馴染めないのですが、菓子舗で聞くところによると、月に叢雲を表したものだとか・・・・
 

まぁ、ひとの感性は様々でありますねぇ・・・・お雑煮に餡ころ餅を入れる地方もあるそうですから・・・

 
 
ともあれ、Yなんぞは、月や風にそよぐ尾花の風情あるいは団子の美味しさもさることながら
 
 

名月や美人の顔の片あかり 子規
 
 
いえいえ、詮索は御無用、単なるイマジネーションの世界ですから・・・・
 
 
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月つながりということで、ローマはヴァチカン・サンピエトロ大聖堂にかかる月・・・・
中秋ではなく冬の月ですが、6年前の出張時、早朝にヴァチカンを訪問した際に思わずシャッターを押しました。
 
あと少しで、今年も高校二年生がイタリア研修旅行に出発します。ローマ、フィレンツェ、アシジと、刈り入れの時期に相応しい豊穣の旅でありますよう・・・・
 

と、久方ぶりにこの写真を眺めながら、Yにはまた思い出したことがあります・・・
 

あの日ローマでながめた月が
きょうは都の空照らす
四年たったらまた会いましょうと
固い約束夢じゃない
 

64年東京オリンピックのテーマソングとしてリリースされた「東京五輪音頭」です。三波春夫はじめ多数の歌手が競作をした、まさに国民歌謡の代表曲。さて2020TOKYOではどのようなメロディーが巷を席巻するのでしょうか・・・願わくば老体にも判然たるメロディーやリズムであって欲しいなぁ
 
あれ? ところで野上の話題は?
 
はい! これです!
 
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若かりし頃の藤飯ご夫妻・・・
 
ほらっ、奥さんは月美さん、つきみ・・月見・・・・・・
 
失礼しました、また来週!
 
あっ、その前に今日の一輪
 
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希望三題

こんにちは、Y館長です。

 

「ヤマト、はっしーん!」

 

あっ、これは沖田艦長でしたね・・・わたしは「わいかんちょう」・・・でした。

 

それにしても沖田艦長、カッコえぇですね。なんでも、いままたリメイク版のアニメが放映されているのだとか。
これまでも七十年代の連続アニメ第一作から、劇場版やキムタク主演の実写版を含めて、ことあるごとにテレビ画面や銀幕(えっ?もう死語ですか)を賑わせてきたわけですが、どこにそれほど「多くの夢中になる人」を夢中にさせる魅力の源泉があるのか、阿久悠が作詞を担当した主題歌ともども、そのテーマ性について、個人の嗜好を離れて一考することも、秋の夜長の一興であるかも知れません。

 

2020年のTOKYO OLYMPIC も決定したわけですが、決定を伝えるTVの画面から感じられた「若い世代」から発信される喜びや期待の声は、Yが想像する以上に大きなものでした。

 

ここでオリンピック・ゲームと宇宙戦艦ヤマトを比べるのもどうかと思うのですが、それでも両者が伝えようとするメッセージからは、「確かな目標は明日の希望につながる」という共通項が読み取れるように思います。

 

たとえそれらが招致合戦の末のオリンピックや艱難辛苦の果てのイスカンダルではなくとも、それぞれのささやかな日々の目標であってさえ、ひとはそこに望みをつなぐことができます。
もちろんその「目標」が「明日の希望」に足る目標であらねばならぬことや、その「目標」を自分のうちで枯らさぬ努力を絶やさぬことも自明ではあるのでしょうが・・・
TOKYO OLYMPIC という目標がそんな真の目標足りえるよう、これからこそが正念場。やるからには大人の理屈が優先するのではなく、若い世代の希望に満ちた大会であってほしいと思います。

 

「希望」と云えば、ここにも・・・
 
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仁川学院藤飯治平記念館は、七月初旬に開館をさせていただきましたが、学校関係者のいわゆる身内を除いた最初の来館者は誰だったかといいますと、それは近隣の小学生たち(!)でした。
最初は高学年の男の子三人組。つづいて三年生と一年生の女の子二人組。
その女の子二人組が、初めて見る藤飯治平先生のビスクドールをモデルにした小品やバレリーナ姿のモデルを描いた数点の画に触発(?)されてYに書いてくれた絵です。

 

なんか、えぇでしょう。こんな出会いのひとこまが、彼や彼女たちの「希望」を形作るうえで、いささかでもいい刺激を与えられる機会となればと思います。

 

今日は新暦の重陽、さすがに朝夕は秋の気配も濃くなって、今宵は何処かで菊酒に喉を湿すとしましょうか・・・

 

草の戸や日暮れてくれし菊の酒 芭蕉
菊の酒人の心をくみて酌    立子


一週間

こんにちは、Y館長です。

 

一週間のご無沙汰でした・・・

 

さて、このブログを読んでくださっている皆さんのうちで、このフレーズに何がしかの感興を呼び起こされる方々がおられるとしたら、それはきっと、「三丁目の夕日」に自分と重なる思い出を辿ることができる、そんな世代の方々ではないでしょうか、生年で云えば、そう、昭和三十年代までに生まれたというような・・・

 

冒頭のフレーズは、公開歌番組のさきがけで、その後二十数年の長きにわたって放送された「歌のアルバム」というTV番組の司会を担当した玉置宏の決まり文句として、一世を風靡した言葉です。

 

Yなどは、その明晰な語り口と芸能に対する博識と情熱で余人には代え難い司会者であったと、独特のはぎれのいい口調とともに懐かしく脳裏に浮かべることができます。

最晩年にはその情熱からくる、いわば勇み足的なことが取りダタされ不本意な時間を過ごすことを余儀なくされたことは残念なことでありましたが・・・

 

あれっ? 何を書くつもりだったかな・・・そうそう、前回、書かせていただいてからもう一週間かと、感じた途端に思い浮かんだフレーズが「一週間のご無沙汰でした」ということから、ちょっと寄り道になったというわけでした・・・いつも、つまらぬことでスンマセン・・・

 

それはそうとYには司会者ということで思い浮かべた言葉があります。それは「ギャラリー・トーク」です。

展覧会に足を運ぶ皆さんにはお馴染みの言葉であろうと思うのですが、美術館や博物館などで学芸員の方やボランティアの方が作品の見どころや様々な背景を解説してくれるあれですね。

 

ここ仁川学院藤飯治平記念館でも、美術館として作品を常設展示する以上、せっかくご来館いただいた皆さんに、せめて最低限のそのような解説というより、少しでも楽しんでいただける工夫をしなければと考えています。とはいえ、担当するAもYも、人生経験だけは人並みに積ませていただいてますが(つまりは、歳をくっているだけ・・・?)そのような訓練を受けたこともなく、ちょっと途方に暮れたりしていたわけですが。

 

先週、藤飯治平先生の母校(といっても卒業ではなく、最後の職場とされたという意味ですが)である兵庫教育大学に伺い、副学長や担当の教授に記念館の開設のことや今後のことをお話させていただく機会がありました。

その折に、兵庫教育大学の協力をいただきながら記念館として何らかの情報発信や地域の子どもたちの育成に貢献できることがあればといったことを厚かましくご相談させていただくなかで、そのギャラリー・トークも話題になり、今後、何かしら、教育機関であると同時に研究機関である兵庫教育大学の特質を活かした展開につながればという期待を持たせていただきました。

 

この記念館が、次代の教育を担う学生の皆さんの実践の場となり、子どもたちにとっては芸術に共感する第一歩になれば・・・

 

時間はかかると思うのですが、この仁川学院藤飯治平記念館をぜひそんな場所に育てていきたいと思っています。

 

藤飯治平先生が兵庫教育大学の教授を退官されたのは1994年の春でした。

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これは藤飯治平先生が退官記念に制作されたセリグラフ(6色6版)作品「フィレンツェの大聖堂」です。記念館で、ぜひ実物をご覧ください。

 

今日の野上はさだまらぬ雨模様・・・

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警報や避難にまつわるニュースが流れていますが、大禍なく過ぎてくれますよう・・・

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