野上日記
2014年4月
- 2014.04.23
- |カテゴリー:野上から
治平さんと月やん・・・南からの便り
こんにちは、Y館長です。
学校法人仁川学院が藤飯治平記念館の運営に携わるきっかけに思いを巡らせると、その端緒は藤飯治平夫人であった月美さんの故郷である南紀へとつながります。
そこから記念館開設につながる一連の物語は、ひとの縁(えにし)の不思議さを目の当たりにしてくれるのですが、つい昨日のこと、その縁に、また新たな一頁を付け加える嬉しい機会(出来事)がありました。
藤飯治平記念館の郵便受けに配達された一通の、少し大振りな封筒・・・
Yにはその瞬間、裏を返して差出人を確かめるまでもなく、というより確かめたとしても知らないお名前が書かれているに違いないのです、それでも「誰」から届いた手紙かには、はっきっりとした予感がありました。
封を切る手ももどかしく、開けた封筒からこぼれる一枚の写真・・・
つづいて、四枚の便箋に綴られた、藤飯治平夫妻のことや、この写真にまつわるあれこれ・・・
写真に写っているのは、若かりし頃、おそらく半世紀前に撮られたであろう藤飯治平夫妻。撮影場所は、今はなくなってしまった宝塚ファミリーランドとか・・・
手紙を寄せてくださった主は、月美夫人の母方の故郷である和歌山県串本町に暮らしていて、月美夫人をおばさんと慕う親戚の女性です。
先日のことですが、藤飯治平先生の資料のことで、ネット上を検索しているうちに、この女性・・・Y・Sさんのブログと出会いました。
そこに綴られた野上四丁目の思い出・・・
Yが拙い筆であれこれ書き連ねるより、Y・Sさんの想いあふれる文章をブログから引用させていただこうと思います。
宝塚市野上通り4丁目
大阪梅田から 阪急電車に乗って 西宮北口で乗り換え
逆瀬川という駅で降りて 坂道をどんどん上って行くと
おばさんの家があった。
夏休みになると 妹と二人で電車に乗って遊びに行った。
記憶では 小学校5年生頃から中学3年までは 毎年
一週間から十日位滞在していた。
楽しみは 勿論「宝塚歌劇」である。その頃は「那智わたる」
「上月のぼる」が スターだった。
歌劇は その5年間は熱心に見たけれど 高校生になって
クラブ活動が忙しくなってからは 遠のいてしまった。
田舎娘にとって、夏休みの宝塚での生活は カルチャーショックの
連続だったような気がする。
おじさんは 絵描きさんだったので いつもアトリエで絵を描いていた。
生活は 洋風でハイカラだった。
おばさんは 父の従姉妹で、私は親戚の中で宝塚のおばさんが一番
好きだった。自分の意見をはっきりと言い、真っ直ぐ立って揺るがない
人だ、と思った。いつも わたしの憧れだった。
大人になって 色んなことに遭遇すると おばさんならどうするだろう
と思った。私は いくじなしで失敗ばかりしていた。
逢いたい、と思いながら 逢えない日々が続いて とうとう逢えないまま
一昨年、おばさんは亡くなった。おじさんも後を追うように昨年亡くなった。
もう 野上通り4丁目のあの家には 誰もいない。
それでも いつかまた坂道を歩いて上って 訪ねてみたいと思っている。
懐かしいおばさんのことを思いながら 歩いてみたい。
以上が2007年7月28日とスタンプされたブログ記事・・・
Yは夢中でコメント欄に、「あなたの懐かしい野上通り四丁目のあの家」は今もあなたが訪れてくれる日を待ってますよ、というようなことを書き残したのですが、ただ、ブログの最新記事(今年の4月4日に書かれたもの)によれば、その日を最後にブログを閉じるのだと書かれていました。
なんとかこのコメントを読んで欲しいと祈る気持ちでいたところに届いた手紙だったのです。
お手紙を読んでわかったのですが、実は別の機会(他のご親戚の元へプチフォルムから届いた藤飯治平展の案内)を通じて藤飯治平記念館のことを知っておられたそうで、このホームページもご覧になっていてくださったとのこと・・・
お手紙には、藤飯夫妻への真情と記念館の開館をこころから喜んでくださるお気持ちが溢れていて、Yも何故かしら旧知の懐かしい方からの手紙を読むこころもちで、感動とともに読ませていただきました。
Y・Sさん、ほんとにありがとうございました。
いつの日か、ぜひ、懐かしい坂道を上って「この家」を訪ねてくださることを願っています。いえ、いつの日かなどと云わず、その機会が少しで早く訪れてくれることを願っています。そして、「治平さんと月やん」のたくさんのことを聴かせてください・・・
こういう出会いというか縁、いやぁ、館長冥利に尽きますね。これからも様々な藤飯治平を取り巻く方々との頁が増えますように・・・
さて、来週はもう黄金週間の真っ只中! ここ野上ではカレンダー通りのスケジュール(4/27、4/29、5/3~5/6は休館)で皆さんをお待ちしています。
では、また黄金週間明けにお目にかかりましょう。よいときをお過ごしください。
- 2014.04.17
- |カテゴリー:野上から
ひとの縁とは
こんにちは、Y館長です。
ここ野上にも春爛漫の香気が満ち満ちています。記念館の庭もたくさんの草花がとりどりの色に咲き誇っています。
入学式ウイークが過ぎれば、もうすぐそこに黄金週間が・・・
さて、以前にも藤飯治平先生の蔵書をご紹介したことがありましたが、今日の一冊も、先生の寝室の書棚に残されたもの・・・
西宮市甲東園に住んだ寺島紫明画伯の伝記です。
昭和五十年に亡くなるのですが、甲東園に居を構えた晩年、多くの舞妓姿を描かれた日本画家で、鏑木清方の門人。
と書き始めて、そうそう、今回はお約束がありましたね。
この記念館下足箱にまつわるお話・・・
この下足箱は、長年、仁川学院で美術科教員として幼稚園から高等学校まで多くの子どもたちにアートのこころを伝えてくれたO職員の労作です。
あるときは教員として子どもたちの手を取り、あるときは職員として学院の様々な営繕業務にも携わってくれました。10年前、定年を迎えた後も嘱託として学院の運営に献身的に協力をしていただいたのですが、この春、サクラの花吹雪舞い散るなかを不慮の病で急逝されました。
昨年の秋に出来上がってきたこの下足箱が、あるいはO職員最後の「仕事」であったかもと、ここしばらくは見るたびに、痩身長髪のダンディな姿を思い起こさずにはおられません・・・・
学院教職員であると同時に、宝塚美術協会を始めとする芸術家団体に所属するアーティスト(彫刻家)でもありました。
学院内には、云わば学院の「座付作家」として制作した、聖フランシスコの「太陽の賛歌」にインスパイアされた作品群(御影石彫刻)を残してくれました。
また、学院敷地の隅っこには、焼却炉を自身で工夫改造した陶器の焼成窯(甲窯と銘あり)を作って広く陶芸を通じた教育活動やときには保護者の親睦にまで貢献してくださいました。
中学校のこんなものもその作品のひとつ・・・
さて、ここで、もう一度冒頭の寺島紫明の伝記・・・
何気に裏表紙をめくってみると、菊判本の真ん中に「藤飯」ではない蔵書印が押されています。
どうも「大垣蔵書」と読めます。
?と訝りながらページを繰ると、二つ折りにされた便箋が一枚、こぼれました。
何かしらと読み進むと、冒頭の藤飯兄に続けて、「いつも圭介がお世話になって有難う」の文字・・・
そう、手紙は本を贈る挨拶の体裁ですが、その行間には子を想う親の心情が溢れています。
これをお読みいただいている大方の皆さんにはもうお解りでしょうか?この手紙の主は大垣泰生さんとおっしゃって藤飯治平先生と同じ画家をされていた方・・・
そして、文中「圭介」と呼ばれているのが、そう、誰あろうO職員こと大垣圭介先生そのひとのことでありました。
当時、まだ仁川学院に在籍されていた藤飯治平先生に、同じく仁川学院に在職していたO職員を頼むの一言・・・泣かせますね・・・
私信ではありますが、それぞれが天国に召されたいまはお許しを頂けるのではと、ご紹介をさせていただきました。
まことにひとの縁とは味なもの・・・かな
記念館では展示替えも完了しました。またひと味ちがう「藤飯治平」をご鑑賞ください。
※ 寺島紫明の伝記
「孤高の美人画家 寺島紫明」瀬川與志 著 株式会社白川書院 発行(昭和51年2月21日初版)
- 2014.04.10
- |カテゴリー:野上から
入学シーズン
こんにちは、Y館長です。
今週は仁川学院の入学式ウイーク。
月曜日は仁川学院高等学校、火曜日は仁川学院中学校、水曜日は仁川学院小学校、そして今日木曜日は仁川学院マリアの園幼稚園・・・
全体で凡そ500人の新入生を迎え、学校内には力強い春の息吹きが満ち満ちています。
新高校生、新中学生は早速、最初の宿泊行事である新入生オリエンテーリングの最中でしょうか、新しい友と出会い、新しい学びの戸を叩き・・・胸いっぱいの希望を持って帰ってくれればいいですね。
さて例によって例のごとく、またまたYのわたくしごとですが、この春、ふたりの孫が小学校に入学しました。
練馬区大泉学園で暮らす息子の次男と、同じく東京は谷中(谷根千と呼ばれる下町の一角)で暮らす娘の長女。
この日曜日に上京して、皆で食事を一緒にお祝いをしてきたのですが、翌日、記念館の代休をいただき、孫娘の入学式に参列してきました。
ふたり同時は無理なので、今回は足場の都合もあって孫娘となったのですが、上野公園不忍池の真向かいにあるそれは、総勢300人に満たない小さな小学校でした。
上野動物園まで校門から3分。山内の東京芸大、美術館、博物館、文化会館が遊び場!運動場の裏は東京大学、三四郎池まで5分!おまけに隣は本人が生まれた東大病院・・・・
如何なYの血筋を引くとも、この環境ですから、これは将来期待できる・・・・なんてことはないかな? いやいや、ここは孫の若いちからを信じましょう!
と、爺馬鹿のお噂で失礼いたしました。
その校門脇のサクラと、式終了後の記念撮影風景。
ところで肝心の藤飯治平記念館では、春の展示替えの準備が進んでいます。
準備というほどの大掛かりなことはないのですが、今回は10号や6号といった作品を中心にご覧いただこうとあれこれ考えながら準備中です。
初めての方はもちろん、再訪いただいた皆さんにも楽しんでいただけることとおもいますので、春の行楽のつもりでぜひ足を運んでいただければ嬉しいですね。
では、新しい藤飯治平先生の作品がひとりでも多くの方々と出逢えることを祈りつつ、また来週。
ここでちょっとだけ、来週の予告・・・
ご来館いただいた皆さんはお解りでしょうか? そう、藤飯治平記念館玄関の下足箱ですが、次回はこのお話・・・
- 2014.04.02
- |カテゴリー:野上から
満開・・・・開花便り-承前-
こんにちは、Y館長です。
いよいよ四月、新年度を迎えました。
もちろんカレンダー上は1日からそれはそうなのですが、学校の新年度は、やっぱり新入生の緊張した面持ちや終業式から数日を経ぬ間にもいっそう成長した在校生の面差しを迎えて、はじめて始まる気がします。
さてここ野上にも着実に春の足音・・・・
今朝は、記念館を取り巻く石垣の割れ目に小さな蜥蜴の姿を見、いままた、これを書きつつふと眺める庭先にこの春はじめてのモンシロチョウ♪♪♪
前回、開花をお伝えした校地内のサクラ、今朝はこんな塩梅にいまを盛りと咲き誇るかな・・・
前回はまだつぼみだけだった園庭のサクラもまことに愛らしく咲いていました。
・
・
・
・
朝の日差しに輝く薄桜色の花々は、希望を満々と孕んだ未来への明るい予兆に観る者の期待を膨らませてくれますが、さて、夜も更けた頃合いともなると今度は一転、どこまでも狂おしく人の奥深くに巣食う情念を掻き立てる・・・
これは、Yの住まいからほど近い東横堀川の堰近くの夜桜風景・・・
昨夜は冷たい風もなく常ならぬ情動に急かされるように足を運んでみました。
古(いにしえ)の歌人がそこに両腕を拡げいまにも掴みかからぬばかりの「モノノケ」の姿を見たサクラはこうでもあったでしょうか・・・
あくがるる心はさても山桜 ちりなむ後や身にかへるべき
風さそふ花の行方は知らねども 惜しむ心は身にとまりけり
花見ればそのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける
春ごとの花に心をなぐさめて 六十路あまりの年を経にける
我れに西行の詩才なく、ただ己が貧才を恥じるばかりですが、六十路を経れば、たとい西行ほどの感慨はなくとも、また如何な凡庸なるYでさえも哀感を忍ぶ時節に出会うもの・・・かな
そうそう、こんな句もありましたね。
さまざまの こと思ひ出す 桜かな 芭蕉
あれっ? 新年度早々からちょっと思わぬ方へと向かう筆の運び、さてや「満開の桜」に棲む「物の怪」の為せるワザ・・・・かなっ?
次回は校庭に響く子どもらの息吹を感じながらお目にかかりましょう、ということでまた来週!