野上日記
残された風景・・・旅の記憶
こんにちは、Y館長です。
月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり
言わずと知れた「奥の細道」の冒頭ですが、時の流れが終わることのない旅であれば、その時とともに歩むひとの人生もまた、死に果てるまで旅の途中であるということでしょうか・・・
などと書き出して、ふと薬師丸ひろ子を思い出しました・・・・!
たんに「途中」という言葉が引き金になっただけの戯れですが、それにしても以前、テレビジョンで観た薬師丸ひろ子の35周年記念コンサート・・・
よかったですねぇ・・・終盤で歌った「夢の途中(セーラー服と機関銃)」・・・いえ、この曲だけというのではなくこれまでの薬師丸の「夢の途中」つまりは「旅の途中」というものが如何に深く輝いているものか・・・
Yの如き爺世代は、まさにそれらの歌を時代の背景として生きてきたのですから、弛みやすくなった涙腺も溢れようというもので・・・時代といえばアンコールで歌った「時代」も本家みゆきとはまったく別の趣で魅せてくれた・・・
あれ? 何を書き始めようとしたのだったか・・・そうそう、この間から藤飯治平先生のスケッチブックの整理を進めているのですが、先日から平行して残された膨大な写真フィルムにも手を付けました。
取り敢えずは、ネガフィルムをPC上でデジタル化することから始めているのですが、まさに藤飯治平が残した「時の記憶」と言えるそれらの写真の数々・・・
まだまだほんの取っ掛かりに過ぎませんが、それでもフィルムに触れていて、一コマたりと冗長な無意味なコマの無いことに驚かされています。
いまやカメラのデジタル化は99.9%を超えているでしょうか、カメラやスマホのメモリー上でデータとして使い捨てられる安直な「時の記憶」を思う時、自戒を込めていま考えるべき何かがあるようにも思えます。
そんなわけで(どんなわけ?)、おそらく73年と思われるギリシャを中心とした取材旅行の際に見たであろう「藤飯治平の目」をいっしょに感じてみてください・・・
これからも処理が終わったものから順次ご紹介させていただこうと思っています。
学院ではすべての校園で二学期がスタートしました。記念館でも秋の展示替えを計画をしています。
すべてのことに実り多い秋であればいいですね。