野上日記
もうひとつの画業
こんにちは、Y館長です。
痛快、感激、感動、無念、残念、驚愕、喝采、呆然、涙、笑い・・・そんな数々のエピソードに彩られたソチ五輪も無事に閉会しましたね。テロの脅威も心配されましたが無事に終えられたことは幸いでした。
毎朝眠い目をこすっていた五輪フリークには、寂しいやらほっとしたやらというところでしょうか・・・
さて、これをお読みいただいている皆さんは、「船場」(せんば)という大阪の地域名をご存知でしょうか?
大阪商人(あきんど)活躍の中心地として多くの小説(たとえば谷崎潤一郎の細雪や春琴抄)や映画、TVドラマの舞台となっているので、大方の皆さんにとって一度は耳にされたことがあるでしょうか・・・
もともとは東西を東横堀川と西横堀川、南北を長堀川と土佐堀川という、周囲四方を川(堀)で囲まれた地域でしたが、現在は西横堀川と長堀川は既に埋め立てられ、それぞれが四ツ橋筋東の阪神高速の高架下と長堀通となっています。
幸いにも東横堀川と土佐堀川は現在も淀川からの水を湛え、水都大阪の往年の面影や風情の片鱗を今に伝えてくれています。
そんな「船場」の町のひとつに「道修町」と呼ばれる町があります。読み方は「どしょうまち」・・・
御堂筋を中心に据えれば、船場の北端である淀屋橋から今橋、高麗橋、伏見町、道修町と続きます。現在の地下鉄になぞらえれば淀屋橋駅と本町駅の真ん中くらいでしょうか・・・
その道修町通は、江戸時代から続く我が国唯一の「薬種問屋の町」で、現在も錚々たる製薬メーカーの多くが本社やオフィスを置いています。
私事ですが、Yには住まいも近く、初詣は道修町通の真ん中にある神農さん(少彦名神社、境内入口には春琴抄の碑もあります))にお詣りするのをここ数年の慣らいとしています。
先週の一日、その道修町に、我が国を代表する製薬メーカーのひとつである塩野義製薬の本社を訪問させていただきました。
シオノギと聞いてYが真っ先に思い浮かべるのは、ザ・ピーナッツの歌う“歌おう踊ろう今夜はみんなのラララミュージックフェアー”というテーマ曲で始まる歌番組。司会は長門裕之・南田洋子夫妻・・・いつものことながら、ふるぅ~!
あっ、旧(ふる)いのはYだけで、番組は変わらずシオノギ提供で司会者の世代交代を重ねながらいまも続く人気番組ですからね・・・
そうそう、CMでは仲代達矢の「明日のために今日も飲むポポンS」や「頭痛歯痛に、はいセデス!」というのもありましたね。
その塩野義製薬さんが1991年に社屋を建て替えられた折に、取り壊される旧社屋の絵画の制作をギャラリープチフォルムのA社長を通じて藤飯治平先生に依頼されたのでした。
その絵画は、現在、塩野義製薬本社に大切に展示(一般公開ではありません)されており、このたびお願いをして拝見させていただくことができました。
30号と思しき油彩画が二枚。
描かれたその凛とした建物の佇まいに、その建物が刻んできた歴史や藤飯治平先生が建物との対話を通じて絵筆に込めたであろう思いが充ちていました。
新社屋の同じ階の一角には、この絵に描かれた旧社屋の玄関エントランスの扉やステンドグラスといった設えがそのまま移築されており、会社の、道修町の盟主としての誇りを強く感じとることができました。
道修町に限らず、それぞれの町のそれぞれの商人魂の矜持が、いまの大阪と云わず日本を支えているのだとの思いを拡げることのできるひとときでもありました。
ところでこの右側の絵にはユニークなことがあって、こちらは玄関エントランスの内側から道修町通を眺めた構図となっているのですが、ガラスの向こうにはシオノギのお向かいさんである、これも我が国を代表するT製薬の本社が描かれていると思われるのですが、その建物が瓦屋根のいかにも船場の商家風!に描かれています。
藤飯先生が取材された90年代にはあり得ない光景で、描く際に、先生が想像の羽を伸ばされたものでしょうか、或いは施主さんとのコミュニケーションの中で思いつかれたのかも・・・
いやぁ、絵画ってほんとぉに面白いですねぇ、それではまた来週!
※今回の訪問でお世話になった塩野義製薬総務部のH課長と、ご紹介の労をお取りいただいたギャラリープチフォルムA社長に感謝申し上げます。ありがとうございました。
※道修町通には、明治期に建てられ、船場商家の典型として重要文化財に指定された「小西家住宅」があります。谷崎が春琴抄の舞台としたとも云われます。内部は非公開ですが、外観は外から眺められます。道修町通と堺筋(道修町三丁目交差点)が交わる北東角です。