野上日記

ひとの縁とは

こんにちは、Y館長です。
 
ここ野上にも春爛漫の香気が満ち満ちています。記念館の庭もたくさんの草花がとりどりの色に咲き誇っています。
 
入学式ウイークが過ぎれば、もうすぐそこに黄金週間が・・・
 
さて、以前にも藤飯治平先生の蔵書をご紹介したことがありましたが、今日の一冊も、先生の寝室の書棚に残されたもの・・・
 
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西宮市甲東園に住んだ寺島紫明画伯の伝記です。
 
昭和五十年に亡くなるのですが、甲東園に居を構えた晩年、多くの舞妓姿を描かれた日本画家で、鏑木清方の門人。
 
と書き始めて、そうそう、今回はお約束がありましたね。
 
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この記念館下足箱にまつわるお話・・・
 
この下足箱は、長年、仁川学院で美術科教員として幼稚園から高等学校まで多くの子どもたちにアートのこころを伝えてくれたO職員の労作です。
 
あるときは教員として子どもたちの手を取り、あるときは職員として学院の様々な営繕業務にも携わってくれました。10年前、定年を迎えた後も嘱託として学院の運営に献身的に協力をしていただいたのですが、この春、サクラの花吹雪舞い散るなかを不慮の病で急逝されました。
 
昨年の秋に出来上がってきたこの下足箱が、あるいはO職員最後の「仕事」であったかもと、ここしばらくは見るたびに、痩身長髪のダンディな姿を思い起こさずにはおられません・・・・
 
学院教職員であると同時に、宝塚美術協会を始めとする芸術家団体に所属するアーティスト(彫刻家)でもありました。
 
学院内には、云わば学院の「座付作家」として制作した、聖フランシスコの「太陽の賛歌」にインスパイアされた作品群(御影石彫刻)を残してくれました。
 
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また、学院敷地の隅っこには、焼却炉を自身で工夫改造した陶器の焼成窯(甲窯と銘あり)を作って広く陶芸を通じた教育活動やときには保護者の親睦にまで貢献してくださいました。
 
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中学校のこんなものもその作品のひとつ・・・
 
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さて、ここで、もう一度冒頭の寺島紫明の伝記・・・
 
何気に裏表紙をめくってみると、菊判本の真ん中に「藤飯」ではない蔵書印が押されています。
 
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どうも「大垣蔵書」と読めます。
 
?と訝りながらページを繰ると、二つ折りにされた便箋が一枚、こぼれました。
 
何かしらと読み進むと、冒頭の藤飯兄に続けて、「いつも圭介がお世話になって有難う」の文字・・・
 
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そう、手紙は本を贈る挨拶の体裁ですが、その行間には子を想う親の心情が溢れています。
 
これをお読みいただいている大方の皆さんにはもうお解りでしょうか?この手紙の主は大垣泰生さんとおっしゃって藤飯治平先生と同じ画家をされていた方・・・
 
そして、文中「圭介」と呼ばれているのが、そう、誰あろうO職員こと大垣圭介先生そのひとのことでありました。
 
当時、まだ仁川学院に在籍されていた藤飯治平先生に、同じく仁川学院に在職していたO職員を頼むの一言・・・泣かせますね・・・
 
私信ではありますが、それぞれが天国に召されたいまはお許しを頂けるのではと、ご紹介をさせていただきました。
 
まことにひとの縁とは味なもの・・・かな
 
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記念館では展示替えも完了しました。またひと味ちがう「藤飯治平」をご鑑賞ください。
 
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※ 寺島紫明の伝記
  「孤高の美人画家 寺島紫明」瀬川與志 著 株式会社白川書院 発行(昭和51年2月21日初版)