野上日記
一週間
こんにちは、Y館長です。
一週間のご無沙汰でした・・・
さて、このブログを読んでくださっている皆さんのうちで、このフレーズに何がしかの感興を呼び起こされる方々がおられるとしたら、それはきっと、「三丁目の夕日」に自分と重なる思い出を辿ることができる、そんな世代の方々ではないでしょうか、生年で云えば、そう、昭和三十年代までに生まれたというような・・・
冒頭のフレーズは、公開歌番組のさきがけで、その後二十数年の長きにわたって放送された「歌のアルバム」というTV番組の司会を担当した玉置宏の決まり文句として、一世を風靡した言葉です。
Yなどは、その明晰な語り口と芸能に対する博識と情熱で余人には代え難い司会者であったと、独特のはぎれのいい口調とともに懐かしく脳裏に浮かべることができます。
最晩年にはその情熱からくる、いわば勇み足的なことが取りダタされ不本意な時間を過ごすことを余儀なくされたことは残念なことでありましたが・・・
あれっ? 何を書くつもりだったかな・・・そうそう、前回、書かせていただいてからもう一週間かと、感じた途端に思い浮かんだフレーズが「一週間のご無沙汰でした」ということから、ちょっと寄り道になったというわけでした・・・いつも、つまらぬことでスンマセン・・・
それはそうとYには司会者ということで思い浮かべた言葉があります。それは「ギャラリー・トーク」です。
展覧会に足を運ぶ皆さんにはお馴染みの言葉であろうと思うのですが、美術館や博物館などで学芸員の方やボランティアの方が作品の見どころや様々な背景を解説してくれるあれですね。
ここ仁川学院藤飯治平記念館でも、美術館として作品を常設展示する以上、せっかくご来館いただいた皆さんに、せめて最低限のそのような解説というより、少しでも楽しんでいただける工夫をしなければと考えています。とはいえ、担当するAもYも、人生経験だけは人並みに積ませていただいてますが(つまりは、歳をくっているだけ・・・?)そのような訓練を受けたこともなく、ちょっと途方に暮れたりしていたわけですが。
先週、藤飯治平先生の母校(といっても卒業ではなく、最後の職場とされたという意味ですが)である兵庫教育大学に伺い、副学長や担当の教授に記念館の開設のことや今後のことをお話させていただく機会がありました。
その折に、兵庫教育大学の協力をいただきながら記念館として何らかの情報発信や地域の子どもたちの育成に貢献できることがあればといったことを厚かましくご相談させていただくなかで、そのギャラリー・トークも話題になり、今後、何かしら、教育機関であると同時に研究機関である兵庫教育大学の特質を活かした展開につながればという期待を持たせていただきました。
この記念館が、次代の教育を担う学生の皆さんの実践の場となり、子どもたちにとっては芸術に共感する第一歩になれば・・・
時間はかかると思うのですが、この仁川学院藤飯治平記念館をぜひそんな場所に育てていきたいと思っています。
藤飯治平先生が兵庫教育大学の教授を退官されたのは1994年の春でした。
これは藤飯治平先生が退官記念に制作されたセリグラフ(6色6版)作品「フィレンツェの大聖堂」です。記念館で、ぜひ実物をご覧ください。
今日の野上はさだまらぬ雨模様・・・
警報や避難にまつわるニュースが流れていますが、大禍なく過ぎてくれますよう・・・